返り点に対する「括弧」の用法について提案
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「私が」は「私は」よりも「私」が強調されている。

(01)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2115年、13頁)。
従って、
(01)により、
(02)
① 私主役です。
② 私は主役です。
に於いて、
① _(濁音) の方が、
② _は(清音) よりも、「心理的な音量」が「大きい」。
従って、
(02)により、
(03)
Q:「私」は「私は」よりも「私」が強調されているように感じるのはなぜか(橋本陽介、日本語の謎を解く、2016年、146頁)。
と言へば、実際に、
A:「私音)」の方が、「私は(清音)」よりも、「心理的な音量」が「大きい」からである。
然るに、
(04)
ネイティブの英語の話し方 ― 特に伝えたい部分の単語を強調して話してみよう。ネイティブは、英語を話すときにどこの部分を相手に強調したいかによって、その単語の発音を強めることがあるのをご存知ですか? 例えば、I強調することで、「他の人ではなく私が」という意味合いが強くなります(cf.https://www.eigowithluke.com)。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 私(濁音) の方が、
② 私は(清音) よりも、「心理的な音量」が「大きい」が故に、
① 私主役です。
といふ「日本語」は、
①(他の人ではなく)私主役です。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(06)
①(他の人ではなく)私主役です。
といふことは、
① 私は主役であって(、私以外は主役ではない)。
といふ、ことである。
然るに、
(07)
① 私は主役であって(、私以外は主役ではない)。
といふことは、
① ∃x{私x&主役x&∃y[主役y&(x≠y)]}。
といふこと、すなはち、
① あるxは私であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外である。といふことはない
といふ、ことである。
然るに、
(08)
1  (1)∃x{私x&主役x&∃y[主役y&(x≠y)]} A
1  (〃)あるxは私であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外である。といふことはない。
1  (〃)          私は主役であって、主役であるyが、私以外である。といふことはない。
 2 (2)   私a&主役a&~∃y[主役y&(a≠y)]} A
 2 (3)   私a                     2&E
 2 (4)      主役a                 2&E
 2 (5)          ~∃y[主役y&(a≠y)]  2&E
 2 (6)          ∀y~[主役y&(a≠y)]  5量化子の関係
 2 (7)            ~[主役b&(a≠b)]  6UE
 2 (8)            ~主役b∨~(a≠b)   7ド・モルガンの法則
 2 (9)            ~主役b∨ (a=b)   8DN
 2 (ア)              主役b→(a=b)   9含意の定義   
  イ(イ)              主役b         A
 2イ(ウ)                  (a=b)   アイMPP
   (エ)                  (a=a)   =I
 2イ(オ)                  (b=a)   ウエ=E
 2 (カ)              主役b→(b=a)   イオCP
 2 (キ)           ∀y[主役y→(y=a)]  カUI
 2 (ク)    主役a&私a                 34&I
 2 (ケ)   主役a&私a& ∀y[主役y→(y=a)]  キク&I
 2 (コ)∃x{主役x&私x& ∀y[主役y→(y=x)]} ケEI
1  (サ)∃x{主役x&私x& ∀y[主役y→(y=x)]} 12コEE
1  (〃)あるxは主役であって、xは私であって、すべてのyについて、yが主役であるならば、yはxである。
1  (〃)          主役は私であって、すべてのyについて、yが主役であるならば、yは私である。
従って、
(05)~(08)により、
(09)
① 私主役です=∃x{私x&主役x&∃y[主役y&(x≠y)]}。
主役は私です=∃x{主役x&私x& ∀y[主役y→(y=x)]}。
に於いて、すなはち、
① 私主役です=あるxは私であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外である。といふことはない
主役は私です=あるxは主役であって、xは私であって、すべてのyについて、yが主役であるならば、yはxである
に於いて、
①=② である。
然るに、
(10)
そして緊張の合格発表。2018年のアニー役に選ばれたのは、ともに劇中のアニーと同じく11歳の、新井 夢乃(アライ ユメノ)・宮城 弥榮(ミヤギ ヤエ)! 新井は2回目、宮城も2回目(1回目はダンスキッズへの応募)の挑戦でアニー役を獲得した。
従って、
(11)
例へば、「演劇・アニー」の場合は、主役が、二人ゐる。
然るに、
(12)
1  (1)∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]} A
1  (〃)あるxは新井であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外にもゐる。
1  (〃)          新井は主役であって、主役であるyが、新井以外にもゐる。
 2 (2)   新井a&主役a& ∃y[主役y&(a≠y)]} A
 2 (3)   新井a&主役a                2&E
 2 (4)            ∃y[主役y&(a≠y)]  2&E
  5(5)              [主役b&(a≠b)]  A
  5(6)            ~~[主役b&(a≠b)]  6DN
  5(7)           ~[~主役b∨~(a≠b)]  6ド・モルガンの法則
  5(8)            ~[~主役b∨(a=b)]  7DN
  5(9)             ~[主役b→(a=b)]  8含意の定義
  5(ア)           ∃y~[主役y→(a=y)]  9EI
 2 (イ)           ∃y~[主役y→(a=y)]  25アEE
 2 (ウ)           ~∀y[主役y→(a=y)]  イ量化子の関係
 2 (エ)   新井a&主役a&~∀y[主役y→(a=y)]  3ウ&I
 2 (オ)∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]} エEI
1  (カ)∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]} 12オEE
1  (〃)あるxは新井であって、xは主役であるが、すべてのyについて、yが主役ならば、xとyが同じ人物である。といふわけではない。
1  (〃)          新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない。
従って、
(12)により、
(13)
③ 新井_主役です=∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
④ 新井_主役です=∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]}。
に於いて、すなはち、
③ 新井_主役です=新井は主役であるが、主役であるyが、新井以外にもゐる。
④ 新井_主役です=新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない。
③=④ である。
然るに、
(14)
③ 新井_主役です=新井は主役であるが、主役であるyが、新井以外にもゐる
④ 新井_主役です=新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない
といふのであれば、
③ 新井主役です=新井は主役であるが、主役であるyが、新井以外にもゐる
④ 新井主役です=新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない
といふことは、有り得ない。
従って、
(13)(14)により、
(15)
③ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
④ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]}。
従って、
(09)(15)により、
(16)
① 私主役です =∃x{ 私x&主役x&∃y[主役y&(x≠y)]}。
② 主役は私です =∃x{主役x& 私x& ∀y[主役y→(y=x)]}。
③ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
④ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]}。
従って、
(16)により、
(17)
① 私主役です=∃x{私x&主役x&∃y[主役y&(x≠y)]}。
③ 私は主役です=∃x{私x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
といふ、ことになる。
従って、
(17)により、
(18)
① 私主役です。
③ 私は主役です。
に於ける、
① _  と、
③ _は  の、「違ひ」は、
∃y と、
③  ∃y の、「違ひ」である。
従って、
(18)により、
(19)
① 私主役です。
③ 私は主役です。
に於ける、
① _  と、
③ _は  の、「違ひ」は、
情報 と、
③ 旧情報  の、「違ひ」である。
といふことには、ならない。
然るに、
(20)
Q:「私」は「私は」よりも「私」が強調されているように感じるのはなぜか。
「主役は私だ」と「私が主役だ」と比べると「私」の方が強調されているように思われます。先ほど明らかにしたように、「」は情報を表すので、「新しいこととして提示する→強調」につながるためでしょう。このように、「他の人ではなく私が」という意味がでるものを、「が」の排他的意味と呼びます(橋本陽介、日本語の謎を解く、2016年、146頁)。
との、ことである。
平成30年09月06日、毛利太。

「返り点」に対する「括弧」の用法(略3)。

(01)
 
レ点は
従って、
(01)により、
(02)
① レ レ レ
② レ 二 一レ
③ 二 一レ 二 一
④ レ 二 レ レ 一
等の「レ点」は、
① 四 三 二 一
② 四 三 二 一
③ 四 三 二 一
④ 下 中 三 二 一 上
で、「置き換へ」ることが出来る。
従って、
(02)により、
(03)
(Ⅰ)レ点
(Ⅱ)一 二 三 四 五 ・・・・・
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 ・・・・・
(Ⅴ) 天 地 人
に於いて、
(Ⅰ)レ点 は、「不要」である。
然るに、
(04)
④ 無{友[不〔如(己)〕者]}=
④ 下{中[三〔二(一)〕上]}。
に於いて、
④ 二( )⇒( )二
④ 三〔 〕⇒〔 〕三
④ 中[ ]⇒[ ]中
④ 下{ }⇒{ }下
といふ「移動」を行ふと、
④ 下{中[三〔二(一)〕上]}⇒
④ {[〔(一)二〕三上]中}下=
④ {[〔(己)如〕不者]友}無=
④ {[〔(己に)如か〕不る者を]友とする}無かれ。
といふ「漢文訓読(ソート)」が成立する。
従って、
(01)(04)により、
(05)
④ 無友不如己者=
④ 己に如かざる者を友とする無かれ。
といふ「漢文訓読」に付く、「返り点」は、
④ レ 二 レ レ   一
④ 下 中 三 二 一 上
であって、「括弧」は、
④ { [ 〔 ( ) 〕 ] }
である。
然るに、
(06)
⑤ 無{友‐人[不〔必及(自分)〕者]}=
⑤ 下{#‐中[三〔#二(#一)〕上]}。
に於いて、
⑤ 二( )⇒( )二
⑤ 三〔 〕⇒〔 〕三
⑤ 中[ ]⇒[ ]中
⑤ 下{ }⇒{ }下
といふ「移動」を行ふと、
⑤ 下{#‐中[三〔#二(#一)〕上]}⇒
⑤ {[〔#(#一)二〕三上]#‐中}下=
⑤ {[〔必(自分)及〕不者]友‐人}無=
⑤ {[〔必ずしも(自分に)及ば〕不る者を]友‐人とする}無かれ。
といふ「漢文訓読(ソート)」が成立する。
従って、
(06)により、
(07)
⑤ 無友人不必如自分者=
⑤ 必ずしも自分に及ばざる者を友人とする無かれ。
といふ「漢文訓読」に付く、「返り点」も、
⑤ 下 中 三 二 一 上
であって、「括弧」は、
⑤ { [ 〔 ( ) 〕 ] }
である。
然るに、
(08)
(3)上中下点(上・下、上・中・下)
レ点・一二点だけで示しきれない場合。必ず一二をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁)
従って、
(08)により、
(09)
④ 無 友 不 如 己 者。
④ 下 中 三 二 一 上。
に対して、例へば、
⑥ 友 不 無 如 己 者。
    一 上。
といふ「返り点」は、有り得ない。
然るに、
(10)
④ 無 友 不 如 己 者。
に対して、固より、
⑥ 友 不 無 如 己 者。
といふ「漢文」自体が、有り得ない。
然るに、
(11)
⑥ 中 三 下 二 一 上 =
⑥ 中[三〔下{二(一)〕上]}。
に於いて、
⑥ 二( )⇒( )二
⑥ 三〔 〕⇒〔 〕三
⑥ 中[ ]⇒[ ]中
⑥ 下{ }⇒{ }下
といふ「移動」を行ふと、
⑥ 中[三〔下{二(一)〕上]}⇒
⑥ [〔{(一)二〕三上]中}下=
⑥ 一 二 三 上 中 下。
といふ「ソート」が成立する。
然るに、
(12)
⑤ { [ 〔 ( ) 〕 ] } に対して、
⑥ [ 〔 (  ) 〕 ] } の場合は、
⑥        (  ) 〕       であるため、「括弧」であるとは、言へない
従って、
(09)(10)(12)により、
(13)
⑥ 友 不 無 如 己 者。
    一 上。
⑥ [ 〔 (  ) 〕 ]
の場合は、「漢文」ではなく、「返り点」でもなく、「括弧」でもない。
平成30年08月25日、毛利太。

「返り点」に対する「括弧」の用法(略2)。

(01)
① 我読(書)⇒
然るに、
(02)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 我読(書) =我(書を)読む。
② 我読(漢文)=我(漢文を)読む。
に於ける「括弧」は、「漢文の補足構造」を表すと同時に、「返り点」の役割を、果たしてゐる。
然るに、
(04)
目的語と補語とはそれほど区別する必要はないので、両方併せて、補足語と呼んだり、単に補語と呼んだりしている。
(江連隆、基礎からの漢文、1993年、26頁)
従って、
(04)により、
(05)
① 我読書   =主語+動詞+補足語。
② 我読漢文  =主語+動詞+補足語
③ I read books=主語+動詞+目的語.
である。
従って、
(03)(05)により、
(06)
① 我読(書) =我(書を)読む。
② 我読(漢文)=我(漢文を)読む。
に於ける「括弧」は、「二つの漢文の、共通の補足構造」を表すと同時に、「返り点」の役割を、果たしてゐる。
然るに、
(07)
レ点 連続した二字の上下を逆転させる。
付帯事項
1 連続した二字を転倒させる場合は、必ずレ点を用い、他の返り点を用いてはならない。
2 連続した二字を転倒させる場合以外に、レ点を用いてはならない。
(古田島洋介、これならわかる返り点―入門から応用まで―、2009年、58頁)
従って、
(01)(06)(07)により、
(08)
① 我読(書) =我(書を)読む。
② 我読(漢文)=我(漢文を)読む。
に於ける「括弧」は、「二つの漢文の、共通の補足構造」を表すと同時に、
① の「返り点」は、「レ点」であって、
② の「返り点」は、「レ点」ではなく、「一二点」である。
然るに、
(09)
「レ点」は「一二点」はないし、「一二点」は「レ点」ではない。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 我読 書  = 我、書を読む。
② 我読 漢文= 我、漢文を読む。
といふ「二つの漢文」は、「共通の補足構造」を持ってゐる一方で、「返り点」に関しては、「共通」ではない
従って、
(01)(10)により、
(11)
① 我読 書  = 我、書を読む。
② 我読 漢文= 我、漢文を読む。
に於ける、少なくとも「レ点」は、「補足構造」を、表してはゐない
平成30年08月23日、毛利太。

「返り点」に対する「括弧」の用法(略)。

 (01)
① 非[不〔読(書)〕]。
に於いて、
① 非[ ]⇒[ ]非
① 不〔 〕⇒〔 〕不
① 読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふならば、
① 非[不〔読(書)〕]⇒
① [〔(書)読〕不]非=
① [〔(書を)読ま〕ざる]非ず=
① [〔(書を)読ま〕ないのでは]ない。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
従って、
(01)により、
(02)
① 非不読書。
② 我非必不読漢文者也。
に於いて、
① 読 を、書 の「直後」に 読み、
② 読 を、文 の「直後」に、読みたいのであれば、
① 非不読(書)。
② 我非必不読(漢文)者也。
といふ風に、「括弧」で括ることになる。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 非不読(書)。
② 我非必不読(漢文)者也。
に於いて、
① 不 を、読 の「直後」に 読み、
② 不 を、読 の「直後」に 読みたいのであれば、
① 非不〔読(書)〕。
② 我非必不〔読(漢文)〕者也。
といふ風に、「括弧」で括ることになる。
従って、
(01)(03)により、
(04)
① 非不〔読(書)〕。
② 我非必不〔読(漢文)〕者也。
に於いて、
① 非 を、不 の「直後」に 読み、
② 非 を、者 の「直後」に 読みたいのであれば、
① 非[不〔読(書)〕]。
② 我非[必不〔読(漢文)〕者]也。
といふ風に、「括弧」で括ることになる。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
② 我非[必不〔読(漢文)〕者]也。
に於いて、
② 非[ ]⇒[ ]非
② 不〔 〕⇒〔 〕不
② 読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふならば、
② 我非[必不〔読(漢文)〕者]也⇒
② 我[必〔(漢文)読〕不者]非也=
② 我は[必ずしも〔(漢文を)読ま〕ざる者に]非ざるなり=
② 我は[必ずしも〔(漢文を)読ま〕ない者では]ないのである。
といふ、「漢文訓読」が成立する。
従って、
(02)~(05)により、
(06)
③ 我非必求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文(作例)」を、
③ 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解せんことを求むる者に非ざる也。
③ 私は必ずしも中文を読解する法を用ゐて漢文を読解しようとする者ではないのである。
といふ風に、読みたいのであれば、
③ 我非必求以解中文法解漢文者也。
に対して、
③ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
にといふ「括弧」を加へて、
③ 非{ }⇒{ }非
③ 求[ ]⇒[ ]求
③ 以〔 〕⇒〔 〕以
③ 解( )⇒( )解
③ 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふことになる。
然るに、
(07)
非書我我
従って、
(01)(05)(06)(07)により、
(08)
① 非[不〔読(書)〕]。
② 我非[必不〔読(漢文)〕者]也。
③ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於ける、
①[ 〔 ( ) 〕 ]
②[ 〔 ( ) 〕 ]
③{ [ 〔 ( ) 〕( ) ] }
といふ「括弧」は、
① レ レ レ
② 下 レ 二 一 上
③ 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
といふ「返り点」に相当する。
(09)
「結論」だけを述べるものの、
(ア)「 括弧 」は、「漢文自体の、補足構造」と、「訓読の順番」を表してゐて、
(イ)「返り点」は、「訓読の順番」を表してゐる一方で、「漢文の補足構造」は、表してはゐない。
平成30年08月22日、毛利太。

「すべて(∀)」と「ある(∃)」。

(01)
すべての人が子をもつ(Everyone has a parent)と、言いたいのだとしよう。われわれは、無理なくつぎのように書く、
① ∀x∃y子(xy)
(E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、126頁改)
然るに、
(02)
① ∀x∃y子(xy)= すべての人が親をもつ(Everyone has a parent)。
といふことは、
① ∀x∃y子(xy)= すべての人はある人の子である(Everyone is a child of someone)。
といふ、ことである。
然るに、
(03)
(04)で示す通り、
①   ∀x  ∃y 囗(xy)
② ~∃x~∃y 囗(xy)
③ ~∃x ∀y~囗(xy)
といふ「論理式」に於いて、
①=② であって、
①=③ である。
(04)
(a)
 1  (1) ∀x ∃y囗(xy)  A
 1  (2)    ∃y囗(ay)  1UE
  3 (3) ∃x~∃y囗(xy)  A
   4(4)   ~∃y囗(ay)  A
 1 4(5)    ∃y囗(ay)&
          ~∃y囗(ay)  24&I
 13 (6)    ∃y囗(ay)&
          ~∃y囗(ay)  345EE
 1  (7)~∃x~∃y囗(xy)  36RAA
(b)
1   (1)~∃x~∃y囗(xy)  A
 2  (2)~∀x ∃y囗(xy)  A
  3 (3)   ~∃y囗(ay)  A
  3 (4) ∃x~∃y囗(xy)  A
1 3 (5)~∃x~∃y囗(xy)&
        ∃x~∃y囗(xy)  14&I
1   (6)  ~~∃y囗(ay)  35RAA
1   (7)    ∃y囗(ay)  6DN
1   (8) ∀x ∃y囗(xy)  7UI
12  (9)~∀x ∃y囗(xy)&
        ∀x ∃y囗(xy)  28&I
1   (ア)~~∀x∃y囗(xy)  29RAA
1   (イ)  ∀x∃y囗(xy)  アDN
(c)
1   (1)  ∀x∃y 囗(xy) A
1   (2)    ∃y 囗(ay) 1UE
 3  (3)       囗(ab) A
  4 (4)  ∃x∀y~囗(xy) A
   5(5)    ∀y~囗(ay) A
   5(6)      ~囗(ab) 5UE
 3 5(7)囗(ab)&~囗(ab) 35&I
 34 (8)囗(ab)&~囗(ab) 457EE 
1 4 (9)囗(ab)&~囗(ab) 138EE
1   (ア) ~∃x∀y~囗(xy) 49RAA
(d)
1   (1)~∃x∀y~囗(xy)  A
 2  (2)   ∀y~囗(ay)  A
 2  (3) ∃x∀y~囗(xy)  2EI
12  (4)~∃x∀y~囗(xy)&
        ∃x∀y~囗(xy)  13&I
1   (5)  ~∀y~囗(ay)  24RAA
  6 (6)  ~∃y 囗(ay)  A
   7(7)      囗(ay)  A
   7(8)   ∃y 囗(ay)  7EI
  67(9)  ~∃y 囗(ay)&
          ∃y 囗(ay)  67&I
  6 (ア)     ~囗(ay)  79RAA
  6 (イ)   ∀y~囗(ay)  アUI
1 6 (ウ)  ~∀y~囗(ay)&
          ∀y~囗(ay)  5イ&I
1   (エ) ~~∃y 囗(ay)  6ウRAA
1   (オ)   ∃y 囗(ay)  エDN
1   (カ) ∀x∃y 囗(xy)  オUI
従って、
(01)~(04)により、
(05)
①   ∀x  ∃y 子(xy)= すべての人はある人の子である。
② ~∃x~∃y 子(xy)= ある人に親がゐない。といふことはない。
③ ~∃x ∀y~子(xy)= ある人が、いかなる人の子でもない。といふことはない。
に於いて、
①=②=③ である。
cf.
① ∀x∃y囗(xy)= ~~{∀x∃y囗(xy)}= ~{∃x~∃y囗(xy)}= ~{∃x∀x~囗(xy)}
従って、
(05)により、
(06)
① すべての人はある人の子である。
② ある人に親がゐない。といふことはない。
③ ある人が、いかなる人の子でもない。といふことはない。
といふ「日本語」に於いて、
①=②=③ である。
といふことは、「論理学的(logical)」である。
従って、
(07)
① すべての人はある人の子である。
② ある人に親がゐない。といふことはない。
③ ある人が、いかなる人の子でもない。といふことはない。
といふ「日本語」は、「論理学的(logical)」である。
然るに、
(08)
① すべての人はある人の子である。
② ある人に親がゐない。といふことはない。
③ ある人が、いかなる人の子でもない。といふことはない。
といふ「日本語」は、
④ Every person is a child of someone.
⑤ It is not the case that someone has no parent.
⑥ It is not the case that someone is not a child of anyone.
といふ「英語」に、対応する。
従って、
(05)(08)により、
(09)
「日本語」は「英語」よりも「論理学的(logical)」ではない。
といふのであれば、例へば、
② ~∃x~∃y子(xy)= ある人に親がゐない。といふことはない。
⑤ ~∃x~∃y子(xy)= It is not the case that someone has no parent.
に於いて、
② の「右辺」は、⑤ の「右辺」よりも、「論理学的(logical)」ではない。
といふ、ことになる。
然るに、
(10)
存在記号(そんざいきごう、existential quantifier)とは、数理論理学(特に述語論理)において、少なくとも1つのメンバーが述語の特性や関係を満たすことを表す記号である。通常「∃」と表記され、存在量化子(そんざいりょうかし)、存在限量子(そんざいげんりょうし)、存在限定子(そんざいげんていし)などとも呼ばれる。
(ウィキペディア)
従って、
(10)により、
(11)
 「∃」=「ゐる」
 「∃」=「ある」
 「∃」=「有る」
 「∃」=「在る」
 「∃」=「存在する」
「~∃」=「ゐない」
「~∃」=「存在しない」
といふ、ことになる。
従って、
(09)(11)により、
(12)
② ∃x~∃y子(xy)= ある人には親がゐない。
に於ける、
②  ∃=ある
② ~∃=ゐない
に於いて、「右辺」は、「左辺の直訳」である。
然るに、
(09)(12)により、
(13)
⑤ ~∃x~∃y子(xy)= It is not the case that someone has no parent.
に於ける、
②  ∃=some
② ~∃=has no
に於いて、「右辺」は、「左辺の直訳」ではない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
② ~∃x~∃y子(xy)= ある人に親がゐない。といふことはない。
⑤ ~∃x~∃y子(xy)= It is not the case that someone has no parent.
に於いて、
② の「右辺」は、⑤ の「右辺」よりも、「論理学的(logical)」ではない。
といふことには、ならない。
平成30年08月22日、毛利太。
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写真は蛍雪時代(高三)。この頃に、漢文が好きになりました。

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