返り点に対する「括弧」の用法について提案

「が」=「가」なのだらうか?

(01)
③ A以外は、   Bでない
④ AでないならばBでない
に於いて、
③=④ である。
(02)
③ AでないならばBでない
④ Aでなくて、 Bである。といふことはない
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(03)
③ Aでなくて、である。といふことはない。
であって、Aでない。といふことはない。
に於いて、
③=④ である。
cf.
~(~A&B)=~(B&~A)
然るに、
(05)
③ Bであって、Aでない。といふことはない
④ Bならば、 Aである
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(06)
③ BならばAである。
といふことは、
④ BAである。
といふことに、他ならない
従って、
(01)~(06)により、
(07)
③ A以外はBでない。
③ Bは、 Aである。
に於いて、
③=④ である。
cf.
~A→~B=~(~A)∨~B=A∨~B=~(~A&B)=~(B&~A)=~B∨~(~A)=~B∨A=B→A
含意の定義、二重否定律、ド・モルガンの法則、交換の法則、ド・モルガンの法則、二重否定律、含意の定義。
従って、
(07)により、
(08)
③ AはBであり(A以外はBでない)。
④ AはBであり(BはAである)。
に於いて。
③=④ である。
従って、
(08)により、
(09)
② ABである。
③ AはBであり(A以外はBでない)。
④ AはBであり(BはAである)。
に於いて、
②=③ であるならば、その時に限って、
②=④ である。
従って、
(09)により、
(10)
② ABである。
といふ「それ」が、「真(本当)」であって、
②=③ であるならば、その時に限って、
② ABである。
③ AはBであり(A以外はBでない)。
④ AはBであり(BはAである)。
といふ「それ」は、「三つ」とも、「真(本当)」である。
然るに、
(11)
② 東京日本の首都である。
③ 東京以外に日本の首都はない。
④ 日本の首都は東京である。
といふ「命題」は、「三つ」とも、「真(本当)」である。
然るに、
(12)
② 東京日本である。
③ 東京以外に日本はない。
④ 日本は東京である。
といふ「命題」は、「三つ」とも、「偽(ウソ)」である。
然るに、
(13)
① 東京は日本である。
① 東京は日本の首都である。
といふ「命題」は、「二つ」とも、「真(本当)」である。
従って、
(09)~(13)により、
(14)
① AはBである。
といふ「言ひ方」が、
② ABである。
といふ「言ひ方」に、「置き換へる」ことが出来るのであれば、その時に限って、
② ABである。
③ A以外はBでない。
④ BはAである。
といふ「言ひ方」は、「三つとも、正しい」
然るに、
(15)
これ迄に、繰り返し述べて来たものの、
「Aは」に対する、
「A」は、「音による強調形」であって、
強調形」は、「排他的命題」を主張し、
排他的命題」とは、
② AはBであり(A以外はBでない)。
② AはBであり(BはAである)。
といふ「命題」に、他ならない。
然るに、
(16)
wakwak1234123さん2008/2/1815:08:27
韓国語で「~は」は~ヌン、「~」は~ と考えてよいのでしょうか?
corea828さん 2008/2/1822:54:42
基本的にはそれでよいと思いますが、やはり外国語。日本語と100%互換性があるとは言えません。
然るに、
(17)
는(ヌン)は「音」であって、
)は「音」である。
従って、
(14)~(17)により、
(18)
② ABである。
③ AはBであり(A以外はBでない)。
④ AはBであり(BはAである)。
だけでなく、
② ABである。
③ A는Bであり(A以外는Bでない)。
④ A는Bであり(B는Aである)。
であっても、
②=③ であるならば、その時に限って、
②=④ である。
といふ風に、思ってゐた
然るに、
(19)
        カ
母音終りの体言+가
        イ
子音終りの体言+이
カ イ
가/이は、日本語の「~」に相当する助詞ですが、「~」と訳せない場合もあるので注意が必要です。
(趙義成、基本ハングル文法、2015年、18頁改)。
然るに、
(20)
固より、가(カ)/이(イ)は、「音」ではなく、「音」である。
従って、
(20)により、
(21)
音)=가/이(音)
ではなく、
音)가/이(音)
である。
従って、
(17)(21)により、
(22)
는(ヌン)は「音」であって、
)は「音」である、が故に、・・・・・である。
といふ「言ひ方」は、固より、成立しない。
従って、
(22)により、
(23)
② ABである。
③ AはBであり(A以外はBでない)。
④ AはBであり(BはAである)。
だけでなく、
② ABである。
③ A는Bであり(A以外는Bでない)。
④ A는Bであり(B는Aである)。
であっても、
②=③ であるならば、
②=④ である。
といふことには、なりそうもない
平成29年05月22日、毛利太。

「対偶」について。

(01)
kjlwn38さん2016/10/718:23:45
【命題 数学】
よくいう
PならばQが正しい時、
Qでないならば、Pでないも正しい
という所謂、対偶ですが、
本当にそうですかね。まぁ考えても意味ないですが、
数学が好きなら国語も好きである
が正しい時、
国語が好きでないなら、数学も好きでない。
なんて言えないだろ???
(02)
① 数学が好きであって、国語が好きでない
② 国語が好きでなくて、数学が好きである。
といふ「日本語」に於いて、
①=②
であることは、「論理学や数学」を習ふまでもなく、「そんなのは、常識である」。
然るに、
(03)
① 数学が好きであって、国語が好きでない
② 国語が好きでなくて、数学が好きである。
といふ「日本語」に於いて、
①=②
であるならば、「当然」、
①(数学が好きであって、国語が好きでない。)といふことはない
②(国語が好きでなくて、数学が好きである。)といふことはない
といふ「日本語」に於いても、
①=②
である。
然るに、
(04)
①(数学が好きであって、国語が好きでない。)といふことはない
といふことは、
① 数学が好きなら、国語も好きである。
といふことに、他ならない。
(05)
②(国語が好きでなくて、数学が好きである。)といふことはない
といふことは、
② 国語が好きでないなら、数学も好きでない
といふことに、他ならない。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
①(数学が好きであって、国語が好きでない。)といふことはない
②(国語が好きでなくて、数学が好きである。)といふことはない
といふ「日本語」に於いても、
①=②
であるならば、
① 数学が好きであるなら、国語も好きである。
② 国語が好きでないなら、数学も好きでない
といふ「日本語」に於いても、
①=②
である。
然るに、
(07)
① 数学が好きであるなら、国語も好きである。
② 国語が好きでないなら、数学も好きでない
などといふことは、「常識的」には、「ウソ」である。
然るに、
(08)
「常識的」には、「ウソ」である。といふことと、
「論理的」には、「妥当」である。といふことを、「混同」すべきではない。
(09)
「論理学」としては、
① ~(P&~Q)=      ~P∨ Q= P→ Q
② ~(~Q&P)=~(~Q)∨~P=~Q→~P
に於いて、
①=②
であるため、
①  P→ Q=PであるならばQである。
② ~Q→~P=QでないならばPでない。
に於いて、
①=②
である。
然るに、
(10)
① ~(P&~Q)=    ~P∨  Q= P→ Q
② ~(~Q&P)=~(~Q)∨~P=~Q→~P
といふ「論理学(の理屈)」を学ばなくとも、もう一度、
(01)~(06)を読んで貰へれば、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない
といふ「日本語」に於いても、
①=②
である。といふことは、分って貰へると、思はれる。
平成29年04月26日、毛利太。

「補足構造」としての、「返り点」と「括弧」。

(01)
「聞鳥啼」を「鳥の啼くを聞く」と訓読することを示すためには、「啼」の文字から「聞」の文字に返って読むので「レ」の符号では間に合わない。このようなときには「一・二」の符号をもちい、「一」のつけられた文字から「二」
のつけられた文字に返って読むことを示す。この符号を「一二点」とよぶ。
 聞鳥啼
「聞鳥啼樹」を「鳥の樹に啼くを聞く」と訓読するときには、前記の「レ」と「一・二」を合わせてもちいることになり、「啼樹」の部分には「レ」を、「聞・・・・・啼」には「一・二」の符号をつけて示す。
 聞 鳥啼一レ樹。
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、1973年、19・20頁改)
然るに、
(02)
① 我聞鳥啼樹。
② I hear birds singing in the trees.
といふ「命題」に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
Q:What do you hear?
A:I hear birds singing.
Q:Where are they singing?
A:In the trees.
であるならば、
② I hear birds singing in the trees.
然るに、
(04)
Q:What do you hear?
A:I hear birds singing.
Q:Where are they singing?
A:In the trees.
であるならば、
② I hear の「意味」は、
② birds singing in the trees.
に及んでゐて、
② birds singing の「意味」は、
② in the trees.
に及んでゐる。
従って、
(02)(04)により、
(05)
① 我聞鳥啼樹。
であるならば、
① 我聞 の「意味」は、
① 鳥啼樹。
に及んでゐて、
① 鳥啼 の「意味」は、
① 樹
に及んでゐる。
然るに、
(06)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(06)により、
(07)
括弧は、① 我聞 の「意味」が及ぶ範囲を明示する働きを持ち、
括弧は、① 鳥啼 の「意味」が及ぶ範囲を明示する働きを持つ。
従って、
(05)(07)により、
(08)
① 我聞鳥啼樹=
① 我聞〔鳥啼(樹)〕。
である。
然るに、
(09)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。目的語と補語とはそれほど区別する必要はないので、両方併せて、補足語と呼んだり、単に補語と呼んだりしている(江連隆、基礎からの漢文、1993年、26頁)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 我聞鳥啼樹。
といふ「漢文」に、
① 我聞〔鳥啼(樹)〕。
といふ「補足構造」が、有るならば、
① 我、鳥の樹に啼くを聞く。
といふ「国語」には、
① 我〔鳥の(樹に)啼くを〕聞く。
といふ「補足構造」が、有ることになる。
従って、
(01)(10)により、
(11)
① 我聞鳥啼樹。
といふ「漢文」に、
① 我聞鳥啼一レ樹。
といふ「返り点」が付く「所以」は、
① 我聞鳥啼樹。
① 我、鳥の樹に啼くを聞く。
といふ「漢文・訓読」に、
① 我聞〔鳥啼(樹)〕。
① 我〔鳥の(樹に)啼くを〕聞く。
といふ「補足構造」が、有るからである。
然るに、
(12)
初めに「括弧」ありき.
(13)
① 我〔鳥の(樹に)啼くを〕聞く。
② 鳥獣は吾[〔(之と)与に(群れを)同じくす〕可から]ず。
③ [〔(外人に)為に道ふに〕足ら]ざるなり。
④ 耕す者[〔以て(益々急なら)ざる〕可から]ず。
⑤ {[〔(己に)如か〕ざる者]友とする}無かれ。
⑥ 当世の士大夫{[〔(劉老人)有るを〕知ら]ざる者}無し。
⑦ 聖人の〔(知ら)ざる〕所、未だ{必ずしも[〔愚人の(知る)所と〕為さ]ずんばあら}ざるなり。
⑧ 曽子の母〈{[子の〔(人を)殺さ〕ざるを]知ら}ざるに〉非ざるなり。
従って、
(11)~(13)により、
(14)
① 我聞鳥啼樹。
② 鳥獣吾不可与之同群。
③ 不足為外人道也。
④ 耕者不可以不益急矣。
⑤ 無友不如己者。
⑥ 当世士大夫無不知有劉老人者。
⑦ 聖人所不知、未必不為愚人所知也。
⑧ 曽子之母非不知子不殺人也。
といふ「漢文」に、
① 我聞〔鳥啼(樹)〕。
② 鳥獣吾不[可〔与(之)同(群)〕]。
③ 不[足〔為(外人)道〕]也。<br><br>
④ 耕者不[可〔以不(益急)〕]矣。
⑤ 無{友[不〔如(己)〕者]}。
⑥ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕]者}。
⑦ 聖人所〔不(知)〕、未{必不[為〔愚人所(知)〕]}也。
⑧ 曽子之母非〈不{知[子不〔殺(人)〕]}〉也。
といふ「補足構造」が有るからこそ、それらに対して、
① 二 一レ
② レ 二 レ 一レ
③ レ 下 二 一 上
④ レ 三 二 一
⑤ レ 二 レ レ 一
⑥ 下 レ レ 二 一 上
⑦ レ レ 二 一レ 二 一レ 
⑧ レ レ 二 一レ レ
といふ「返り点」が、付くことになるのであって、「逆」ではない。
従って、
(14)により、
(15)
① 我、鳥の樹に啼くを聞く。
② 鳥獣は、吾、之と与に群れを同じくす可からず。
③ 外人に為に道ふに足らざるなり。
④ 耕す者以て益々急ならざる可からず。
⑤ 己に如かざる者友とする無かれ。
⑥ 当世の士大夫劉老人有るを知らざる者無し。
⑦ 聖人の知らざる所、未だ必ずしも愚人の知る所と為さずんばあらざるなり。
⑧ 曽子の母、子の人を殺さざるを知らざるに非ざるなり。
といふ風に、読まうと、読むまいとに拘はらず、
① 我聞鳥啼樹。
② 鳥獣吾不可与之同群。
③ 不足為外人道也。
④ 耕者不可以不益急矣。
⑤ 無友不如己者。
⑥ 当世士大夫無不知有劉老人者。
⑦ 聖人所不知、未必不為愚人所知也。
⑧ 曽子之母非不知子不殺人也。
といふ「漢文」には、
① 〔( )〕
② [〔( )( )〕]
③ [〔( )〕]
④ [〔( )〕]
⑤ {[〔( )〕]}
⑥ {[〔( )〕]}
⑦ 〔( )〕{[〔( )〕]}
⑧ 〈{[〔( )〕]}〉
といふ「括弧(補足構造)」が、有ることになる。
従って、
(16)
初めに「括弧」ありき。「括弧」は漢文とともにありき。
漢文に「括弧」ありて、然る後に「返り点」あり。
である。
従って、
(17)
例へば、
① 我聞鳥啼樹。
といふ「漢文」を、
① ガブンテウテイジュ。
① 我、鳥の樹に啼くを聞く。
① I hear birds singing in the trees.
① Mi aŭdas birdoj kantante en la arboj.
① Wǒ tīngdào niǎo er zài shù shàng chànggē.
① J'entends les oiseaux chanter dans les arbres.
といふ風に、読まうと、読むまいとに拘はらず、
① 我聞鳥啼樹。
といふ「漢文」の、
① 我聞〔鳥啼(樹)〕。
といふ「括弧(補足構造)」を、「無視」することは、出来ない。
平成29年04月21日、毛利太。

「漢文」の「否定」について。

(01)
① AB=名詞+名詞。
であるならば、
① AB=AはBである。
といふ、「意味」である。
(02)
② A非B=名詞+非+名詞。
であるならば、
② A非B=AはBでない(B以外である)。
といふ、「意味」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 我王 =我は王なり。
② 我非王=我は王に非ず。
といふ、「意味」である。
然るに、
(02)(03)により、
(04)
② 我非王=我は王に非ず。
② 我非王=私は王ではない。
に於いて、
② 王 は、「名詞」であるため、
② 王 は、「動詞」でも、「形容詞」でもない。
然るに、
(05)
不は、あとの動詞や形容詞を否定して「不行(行かない)」、「不良(良くない)」のように用いる。
(学研、漢和大辞典、1978年、1457頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
② 我非王=我は王にあらず。
③ 我不王=我は王にあらず。
に於いて、
③ は、「正しく」はない。
然るに、
(07)
【王】〔意味〕
[一]きみ(君)国土を統べ、人民を治める君主。
[二]きみとなる「欲関中 カンチュウにオウたらんとほっす」〈史記・項羽記〉
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、535頁改)
従って、
(08)
「王」といふ「漢字」は、「名詞」であって、尚且つ、「王になる」といふ「動詞」である。
従って、
(06)(08)により、
(09)
③ 我非王。
ではなく、
③ 我不王。
であるならば、
③ 我不王=私は王ではない。
ではなく、
③ 我不王=私は王にならない。
といふ「意味」である。
然るに、
(10)
④ 不王者=王たらざる者(王にならない者)
は、「名詞」である。
従って、
(02)(10)により、
(11)
⑤ 我不王者=我は王たらざる者なり。
⑤ 我不王者=私は王にならない者である。
であって、
⑥ 我非不王者=我は王たらざる者に非ず。   
⑥ 我非不王者=私は王にならない者ではない。
であるものの、
⑥ 我非不王者=我は王たらざる者に非ず。
⑥ 我非不王者=私は王にならない者ではない。
は、「二重否定」である。
(12)
⑦ 無不王者=王たらざる者無し。      
⑦ 無不王者=王にならない者はゐない。
も、「二重否定」である。
然るに、
(13)
【非】ひ あらズ[連語] 《内容の否定》
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、283・293頁改)
【非】[意味]① ・・・にあらず ・・・ではない。・・・ということではない。◇ 後にくる名詞や、事由をあらわすクローズを打ち消すことば。
(学研、漢和大辞典、1978年、1457頁改)
従って、
(12)(13)により、
(14)
【非】は、
⑦ 無不王者=王たらざる者無し。
⑦ 無不王者=王にならない者はゐない。
といふ「二重否定」を「否定」することが出来、
⑧ 非無不王者=王たらざる者無きに非ず。
⑧ 非無不王者=王にならない者はゐないのではない
は、「重否定」である。
(15)
⑨ 天下無非王土=天下王土に非ざる無し。
⑨ 天下無非王土=天下に王の土地でないところは無い。
然るに、
(16)
非=ヒ
不=フ
無=ム
(17)
一=ヒ
二=フ
三=ミ
四=ヨ
五=イツ
六=ム
従って、
(16)(17)により、
(18)
 非不= ヒフ= 一二
 非無= ヒム= 一六
 無非= ムヒ= 六一
 無不= ムフ= 六二
非無不=ヒムフ
であるため、
1216。6162。162。
である。
平成29年04月01日、毛利太。

「管到(ソコープ)」。

(01)
① ~(P)&Q=(Qならば、Pである。)といふことはない。
② ~(P&Q)=(QであってPである。)といふことはない。
cf.
① ~(P)&Q=~{~(~(P))∨~(Q)}= ~{P∨~(Q)}=~{~(Q)∨P}=~(Q→P)
然るに、
(02)
①(Qならば、Pである。)
②(QであってPである。)
に於いて、
① Qでないならば、Pであっても、Pでなくとも、「真(本当)」である。
② Qでないならば、Pであっても、Pでなくとも、「偽(ウソ)」である。
従って、
(02)により、
(03)
①(Qならば、Pである。)
②(PであってQである。)
に於いて、
①≠② である。
従って、
(01)(03)により、
(04)
① ~(P)&Q=(Qならば、Pである)といふことはない。
② ~(P&Q)=(QであってPである)といふことはない。
に於いて、
①≠② である。
従って、
(04)により、
(05)
① ~P&Q=(Qならば、Pである)といふことはない。
② ~P&Q=(QであってPである)といふことはない。
であるならば、
① ~(P)&Q
② ~(P&Q)
でなければ、ならない。
然るに、
(06)
① ~(P)&Q
であれば、
① ~ は、「Pだけ」を「否定」し、
② ~(P&Q)
であれば、
② ~ は、「PとQ」を「否定」する。
然るに、
(07)
 括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
② ~(P&Q)
であれば、
② ~ の「スコープ」は、
② P&Q
である。
然るに、
(09)
② ~(P&Q)
であれば、
② ~ は、
② P&Q
に、「係ってゐる」。
然るに、
(10)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
従って、
(09)(10)により、
(11)
② ~(P&Q)
であれば、
② ~ の「管到」は、
② P&Q
である。
従って、
(08)(11)により、
(12)
スコープ」とは、すなはち、「管到」である。
従って、
(07)(12)により、
(13)
「管到」=「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」
は、「括弧」を用ゐて、「明示」することが、出来る。
従って、
(14)
③ 当世士大夫無不知有劉老人者。
といふ「漢文の、管到」は、例へば、
③ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕]者}。
といふ「括弧」によって、「明示」することが、出来る。
然るに、
(15)
③ 当世士大夫無不知有劉老人者=
③ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕]者}。
に於いて、
③ 無{ }⇒{ }無
③ 不[ ]⇒[ ]不
③ 知〔 〕⇒〔 〕知
③ 有( )⇒( )有
といふ「移動」を行ふと、
③ 当世士大夫無不知有劉老人者=
③ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕]者}⇒
③ 当世士大夫{[〔(劉老人)有〕知]不者}無=
③ 当世の士大夫{[〔(劉老人)有るを〕知ら]ざる者}無し=
③ 当時の知識人に、劉老人の存在を知らない者はゐない(助字弁略、序文)。
然るに、
(16)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(15)(16)により、
(17)
③ 当世士大夫無不知有劉老人者。
といふ「漢文」に対する、
③ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕者]}。
といふ「括弧(管到)」は、
③ 当世士大夫無不知有劉老人者。
といふ「漢文の、補足構造」を、示してゐる。
然るに、
(18)
例へば、
① ~(P)&Q=~{~(~(P))∨~(Q)}
といふ「論理式」は、
① ~P&Q=~(~(~P)∨~Q))
と書くのが、「普通」である。
従って、
(19)
① ~P&Q
と書いたとしても、「正しく」は、
① ~(P)&Q
である。
従って、
(20)
括弧は曖昧さがない場合は適当に省略される(赤間世紀、AIプログラミング、2008年、13頁)。
むやみに括弧が多くなることは我慢でないのである(E.J.レモン、論理学初歩、1973年、59頁)。
といふ「理由」により、「論理式」であっても、「括弧」は、「省略」される。
従って、
(17)(20)により、
(21)
③ 当世士大夫無不知有劉老人者。
といふ「漢文」が、
③ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕者]}。
といふ風に、書かれてゐない。からと言って、
③ 当世士大夫無不知有劉老人者。
といふ「漢文」に、
③ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕者]}。
といふ「括弧(管到)」が無い。とは、限らない
平成29年03月18日、毛利太。
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タカ

Author:タカ
写真は蛍雪時代(高三)。この頃に、漢文が好きになりました。

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