「和文漢訳(復文)」のすすめ(ver1.5)。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案

「和文漢訳(復文)」のすすめ(ver1.5)。

― 「10月05日の記事」を書き換へます。―
(01)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
然るに、
(02)
① 見〔釣(於濮水)〕⇔
① 〔(濮水に)釣るを〕見る。
の「語順」は、全く逆である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 見〔釣(於濮水)〕⇔
① 〔(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、
① 〔 ( ) 〕
① 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、「補足構造(シンタックス)」を、表してゐる。
従って、
(03)により、
(04)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕⇒
① 我〔荘子(於濮水)釣〕見=
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、
① 〔 ( ) 〕
① 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、「補足構造(シンタックス)」を、表してゐる。
然るに、
(05)
① 〔 ( ) 〕は、
① 〔 ( ) 〕に、等しい。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕。
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、「シンタックス(括弧)」は、等しい。
然るに、
(07)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕。
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、「語順」は、等しくない。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「シンタックス」が等しければ「語順」も等しい。とは、言へない。
従って、
(08)により、
(09)
「語順が等しい」ことは、「シンタックスが等しい」ための、「十分条件」ではあっても、「必要条件」ではない。
cf.
このバハサ・マレーシア語は、現地のマレー語の多くを、そのままアルファベット表記したものである。ところがそれらの現地語をアルファベットにした、単語と単語の並び方は、なんと英語とほとんど同じなのである。すなわち、統辞(syntax、シンタックス)=文法(gurammar、グラマー)は、英語だ、ということである(福島隆彦、英文法の謎を解く、1995年、10頁)。
然るに、
(10)
② What(are[you doing〔here)〕]⇒
② ([you〔here)What〕doing]are =
② ([あなたは〔ここで)何を〕して]ゐる。
に於いて、
② ( [ 〔 ) 〕 ]
② ( [ 〔 ) 〕 ]
は、「括弧」とは、言へない。
従って、
(04)(10)により、
(11)
② What(are[you doing〔here)〕].
② ([あなたは〔ここで)何を〕して]ゐる。
の場合は、「語順」だけでなく、「補足構造(シンタックス)」も、等しくない。
然るに、
(12)
② 三(五[一四〔二)〕]⇒
② ([一〔二)三〕四]五。
従って、
(11)(12)により、
(13)
② What are you doing here ⇒
② あなたはここで何をしてゐる。
に対して、敢へて、「返り点」を付けるならば、
② 三 五 一 四 二
である。
然るに、
(14)
② 三 五 一 四 二
といふ「返り点」は、「漢文訓読」からすると、有り得ない。
従って、
(12)(14)により、
(15)
② What are you doing here ⇒
② あなたはここで何をしてゐる。
といふ「WH移動」に於ける、
② ( [ 〔 ) 〕 ]
といふ「括弧」と、
② 三 五 一 四 二
といふ「返り点」は、有り得ない。
cf.
Wh移動 :意味を導くための深層構造が必要だという説明の時に、一番最初に取り上げられたのは疑問詞が文頭にある疑問文でした。主語はともかく、目的語が動詞の直後ではなく、動詞の前しかも文の先頭にあるという事実を説明するためには、目的語である疑問詞がちゃんと動詞の直後にある深層構造を設定すればよいわけです(町田健、チョムスキー入門、2006年、117頁)。
然るに、
(16)
③ [ ( 〔 ) 〕 ]
④ ( [ 〔 ) 〕 ]
④ ( [ 〔  ) 〕 ]
⑤ ( [ 〔  ) 〕 ]
といふ、「括弧」ではあり得ない「それ」に対応する、
③ 下 二 上 一
④ 二 五 三 一 四
④ 二 五 三 一 四
⑤ 二 三レ 一
といふ「それ」も、「漢文訓読」であれば、絶対に、有り得ない。
従って、
(16)により、
(17)
「漢文訓読」の「語順(返り点)」を「基準」にすると、
⑤ 只‐管要纏我 ⇒
⑤ ヒタスラ 我ガ ヤツカイニナル。
⑥ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来 ⇒
⑥ 端的に這の婆子の本事を看出だし来たらず。
⑥ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来 ⇒
⑥ 西門慶促忙促急に床を儧造し出し来たらず。
⑦ 吃了不多酒 ⇒
⑦ 吃むこと多からず。
に於ける、
⑤ 只‐管要纏我。
⑥ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑥ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑦ 吃了不多酒。
といふ「白話の語順」は、「漢文」では、有り得ない。
cf.
白話文訓読
(18)
しかし私が専門にしている中国明清の白話小説は必ずしも漢文訓読の方法では読めません。「白話」というのは話し言葉をもとにした書面語で、それを読むためには現代中国語の知識が必要になります。皆さんがよく知っているでしょう『三国志演義』・『水滸伝』・『西遊記』・『封神演義』などはみな白話で書かれている長編小説です。これらの小説を読むためには、まず現代中国語をしっかり学ばなければなりません(Webサイト:中川諭|大東文化大学)。簡潔を旨として作られた文言文とは異なり、話し言葉に基づく白話文は、本来訓読には適していない(実際、現在では白話文の訓読はほとんど行われていない)。しかし江戸時代、白話文は訓読されていた(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、330頁)
(19)
「原文(文言文)」で「曾子曰、敢問聖人之徳、無以加於孝乎(曾子曰く、敢えて問う 聖人の徳、以て孝に加うること無きか)」というところが、当時の口語訳(白話文)では「曾子問、孔子道聖人行的事、莫不更有強如孝道的勾當麽」となり、「孝莫大於厳父、厳父莫大於配天(孝は父を厳ぶより大なるは莫く、父を厳ぶは天に配するよりは大なるは莫し)」というところが、白話訳では、 「孝的勾當都無大似的父親的、敬父親的勾當便似敬天一般」となっている。両者の違いは一目瞭然であろう(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、312頁)。
然るに、
(20)
例へば、
① ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(方丈記、冒頭)。
② ゆく河の流れは絶えることがなく、しかももとの水ではない(現代語)。
に於いて、
①が分るのに、
②が分からない。
といふことは、有り得ない。ものの、
③ 孝莫大於厳父、厳父莫大於配天。
④ 孝的勾當都無大似的父親的、敬父親的勾當便似敬天一般。
に於いて、
③は分るのに、
④は、全く、理解できない。
従って、
(17)~(20)により、
(21)
「白話」が、「中国語」であるならば、「漢文」は「中国語」ではないし、
「漢文」が、「中国語」であるならば、「白話」は「中国語」ではない。
(22)
1 2 3 4 5 6 7 8 9
といふ「九個」は、「一桁の10進数」である。
従って、
(22)により、
(23)
12=twelve
ではなく、
12=one two
である。
(24)
① 7〔3(12)6(45)〕。
に於いて、
① 3( )⇒( )3
① 6( )⇒( )6
① 7〔 〕⇒〔 〕7
とするならば、
① 7〔3(12)6(45)〕⇒
① 〔(12)3(45)6〕7=
① 1 2 3 4 5 6 7。
(25)
② 3(7〔12)6(45)〕。
に於いて、
① 3( )⇒( )3
① 6( )⇒( )6
① 7〔 〕⇒〔 〕7
とするならば、
② 3(7〔12)6(45)〕⇒
② (〔12)3(45)6〕7=
② 1 2 3 4 5 6 7。
(26)
③ 3(12)6(7〔45)〕。
に於いて、
① 3( )⇒( )3
① 6( )⇒( )6
① 7〔 〕⇒〔 〕7
とするならば、
③ 3(12)6(7〔45)〕⇒
③ (12)3(〔45)6〕7=
③ 1 2 3 4 5 6 7。
従って、
(24)(25)(26)により、
(27)
① 7 3 1 2 6 4 5。
② 3 7 1 2 6 4 5。
③ 3 1 2 6 7 4 5。
といふ「順番」は、
① 〔 ( )( ) 〕
② ( 〔 )( ) 〕
③ ( )( 〔 ) 〕
を用ゐることにより、
① 1 2 3 4 5 6 7。
② 1 2 3 4 5 6 7。
③ 1 2 3 4 5 6 7。
といふ「順番」に「並び替へる(ソートする)」ことが、出来る。
然るに、
(28)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
に於いて、
② の中には、一つ以上の ① が有って、
③ の中には、一つ以上の ② が有って、
④ の中には、一つ以上の ③ が有って、
⑤ の中には、一つ以上の ④ が有る。
ならば、その時に限って、「括弧」とする。
従って、
(28)により、
(29)
① 〔 ( )( ) 〕
② ( 〔 )( ) 〕
③ ( )( 〔 ) 〕
に於いて、
① 〔 ( )( ) 〕
は、「括弧」であるが、
② ( 〔 )
③    ( 〔 )
は、「括弧」ではないため、
② ( 〔 )( ) 〕
③ ( )( 〔 ) 〕
は、「括弧」ではない。
従って、
(27)(29)により、
(30)
① 7〔3(12)6(45)〕⇒
① 〔(12)3(45)6〕7=
① 1 2 3 4 5 6 7。
は、「括弧」による、「並び替へ(ソート)」であるが、
② 3(7〔12)6(45)〕⇒
② (〔12)3(45)6〕7=
② 1 2 3 4 5 6 7。
は、さうではなく、
③ 3(12)6(7〔45)〕⇒
③ (12)3(〔45)6〕7=
③ 1 2 3 4 5 6 7。
も、さうではない。
然るに、
(31)
② 3(7〔12)〕
③ 6(7〔45)〕
であるため、
② 3<7>2
③ 6<7>5
である。
従って、
(32)
② ( 〔 )
③ ( 〔 )
といふ「それ」が生じる「所以」は、
② 3<7>2
③ 6<7>5
といふ「順番」に、他ならない。
加へて、
(33)
④ 2(3〔1)〕⇒
④ (〔1)3〕2。
の場合も、
④ 2<3>1
である。
従って、
(32)(33)により、
(34)
② ( 〔 )
③ ( 〔 )
④ ( 〔 )
といふ「それ」が生じる「所以」は、
② 3<7>2
③ 6<7>5
④ 2<3>1
といふ「順番」に、他ならない。
従って、
(30)~(34)により、
(35)
与えられた「順番」が、
② L<M>N & L=N+1
といふ「順番」を含む場合は、
① ( )
② 〔 〕
を用ゐて、
② N<L<M 
といふ「ソート(並び替へ)」を行ふことは、出来ない。
然るに、
(36)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
に於いて、
② の中には、一つ以上の ① が有って、
③ の中には、一つ以上の ② が有って、
④ の中には、一つ以上の ③ が有って、
⑤ の中には、一つ以上の ④ が有る。
ならば、その時に限って、「括弧」とするのであれば、
⑥ 同じ事の、繰り返しである。ため、
① ( )
② 〔 〕
に於いて、成り立つことは、
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
に於いても、成り立つ。
従って、
(35)(36)により、
(37)
与えられた「順番」が、
② L<M>N & L=N+1
といふ「順番」を含む場合は、
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
を用ゐて、
② N<L<M 
といふ「ソート(並び替へ)」を行ふことは、出来ない。
従って、
(38)
与えられた「順番」が、
② L<M>N & L=N+1
といふ「順番」を含む場合に、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
を用ゐても、
② N<L<M 
といふ「ソート(並び替へ)」を行ふことは、出来ない。
といふことが、「書かれてゐる教科書他」があれば、「括弧」は、「返り点」の役割を、担ふことが、出来る。
といふことが、明らかになる。
しかしながら、
(39)
さのやうなことが、「明確に、書かれてゐる教科書他」は無いもの。と、思はれる。
(40)
① 54312
② 51243
③ 612534
④ 1742356
⑤ 84213576
この順序で読む場合の返り点を教えてください(閲覧数:0 回答数:0)。
といふ「問題(質問)」であれば、「括弧」は、
① 5[4〔3(12)〕]
② 5〔124(3)〕
③ 6〔125(34)〕
④ 17〔4(23)56〕
⑤ 8[4〔2(1)3〕57(6)]
であって、それ故、「返り点」は、
① レ レ 二 一
② 二 一レ
③ 三 二 一
④ 下 二 一 上
⑤ 下 二 レ 一 上レ
である。
cf.
54312
然るに、
(41)
① 5>4>3>1<2
② 5>1<2<4>3
③ 6>1<2<5>3<4
④ 1<7>4>2<3<5<6
⑤ 8>4>2>1<3<5<7>6
の中に、
④ L<M>N & L=N+1
といふ「順番」は、含まれてゐない。
然るに、
(42)
④ 1<7>4>2<3<5<6
といふ「順番」を、
④ 2<7>4>1<3<5<6
とするならば、
④ 2<7>4>1
といふ「順番」は、
④ L<M>N & L=N+1
である。
然るに、
(43)
④ 2<7>4>1<3<5<6
に対して、「括弧」を加へると、
④ 2(7[4〔1)3〕56]
であるが、
④ ( [ 〔 ) 〕 ]
は、「括弧」ではない。
然るに、
(44)
④ 2(7[4〔1)3〕56]
に対する「それ」は、
④ 二 乙 下 一 上 甲
である。
cf.
2741356
然るに、
(45)
④ 下 二 一 上
に対して、
④ 二 乙 下 一 上 甲
といふ「返り点」は、「漢文訓読」である限り、有り得ない。
(46)
⑤ What(are[you doing〔here)〕]=
⑤ 何を(ゐる[あなたは して〔ここで)〕]。
の場合は、
⑤ 3<5 1 4>2
である。
従って、
(47)
⑤ 3<5 1 4>2
といふ「順番」を、例へば、
⑤ 5 1 4>2<3
⑤ 5 1 4>3>2
に変へれば、
⑤ L<M>N & L=N+1
は、無くなる。
然るに、
(48)
⑤ 5 1 4>2<3
⑤ 5 1 4>3>2
であれば、「返り点」は、
⑤ 三 二 一
⑤ 四 三 二 一
であって、「括弧」は、
⑤ ゐる〔あなたは して(ここで 何を)〕。
⑤ ゐる[あなたは して〔何を(ここで)〕]。
である。
cf.
⑤ are you doning what here =
⑤ are[you doning〔what(here)〕 ]⇒
⑤ [you 〔(here)what〕doning ]are=
⑤ [あなたは 〔(ここで)何を〕して]ゐる。
である。
(49)
今の日本の中学・高校では英語・数学・国語を主要3教科と呼んでいますが、戦前、旧制の中学では英語・数学・国語・漢文が主要4教科でした。漢文は国語とは独立した教科だったんですね。読解はもとより、復文(書き下し文から原文を復元)や作文もやるし、これだけ高度な学習内容でしたから、白文の読解もなんのそのでした。しかし戦後、漢文は国語の一部である古典分野の、そのまた片隅に追いやられてしまいました。漢文の得意な教師は少なく、漢文に興味を持つ生徒も少なく、おまけに最近は大学入試科目から漢文が消えつつあるので、みんないやいやながら学んでいます。内容もたいしたことはなく、学者先生が返り点と送り仮名をつけた文章をえっちらおっちら読む程度です(Webサイト:漢文入門)。
(50)
① 若し日本の中学生に必ず能く漢文を読まんと欲する者有らば則ち宜しく括弧を以て其の管到を学ぶ可し。
といふ「日本語」を思ひ浮かべて、①を、
② 若日本之中学生有必欲能読漢文者則宜以括弧学其管到。
といふ「漢文」に「復文」して、③のやうに、「括弧」で括ったとする。
③ 若日本之中学生有[必欲〔能読(漢文)〕者]則宜〔以(括弧)学(其管到)〕。
然るに、
(51)
③ 若日本之中学生有[必欲〔能読(漢文)〕者]則宜〔以(括弧)学(其管到)〕矣⇒
③ 若し日本の中学生に[必ず〔能く(漢文を)読まんと〕欲する者]有らば則ち宜しく〔(括弧を)以て(其の管到を)学〕可し。
に対応する「返り点」は、
③ 下 三 二 一 上 下 二 一 中 上
である。
然るに、
(52)
日本人が漢文を書く場合、漢文直訳体の日本語である漢文訓読は、有力な道具となり得る。まず頭のなかで漢文訓読体の日本語を思ひ浮かべ、それを漢文の語序にしたがって書く。次に、そうして書きあがった漢文を自分で訓読し、定型的な「句法」で訓読できない箇所はないか、返り点に無理はないか、などをチェックする。実際に漢詩・漢文を自分で書いてみればわかることだが、日本人が音読直読だけで純正漢文を書くことは、なかなかに難しい(そもそも漢文の音読直読ができる現代中国人でも、純正漢文が書ける者は少ない)。(勉誠出版、「訓読」論、2008年、265頁)
然るに、
(53)
③ If you are a japanese high school student, and if you really want to be able to read 漢文 in the future then you should master "how to use 括弧 and scope" first.
③ 日本の中学生であるならば、そして、本当に将来漢文を読むことができたいならば、あなたは最初に「括弧と範囲を使う方法」をマスターしなければなりません(ヤフー!翻訳)。
のやうな「英作文」を行ふ場合は、固より、「英文直訳体の日本語である英文訓読」といふものが、存在しない。
cf.
if you 
日本の
従って、
(52)(53)により、
(54)
「支那の言語や文字を研究するのに、漢文と支那語の様な区別を設けてゐるのは、世界中、日本だけで、支那はもとより、ヨーロッパやアメリカで支那学を研究するにも、そんな意味のない区別など夢にも考へてゐない。西洋人が支那のことを研究するには、何よりも先き、支那の現代の言葉を学び、現代人の書く文章を読み、それから次第に順序を追うて、古い言葉で書いた書物を読んで、支那民族の文化の深淵を理解する。アメリカの大学で支那のことを研究する学生は、最初の年に現代語学現代文学を学び、次の年に歴史の書物を読み経書を習ふさうである(勉誠出版、「訓読」論、2008年、57頁)。
といふ「主張」が、必ずしも、正しいとは、思へない。
(55)
アイヌ語や、ゲール語や、ピダハン語が、「消滅」してはならないのであれば、たとへ、「話し言葉」ではなくとも、明らかに、ユニークな「漢文訓読」は、「消滅」すべきではない。
(56)
漢字はことばではない、文字である。多くの文化人はそのことにふれずして、日本語論を語る。その結果、「訓読みは日本人の発明だ!」などという論調が蔓延してしまっているが、そんな日本と日本人の漢字礼讃傾向に、著者は真っ向から反論する書である。
(田中克彦、漢字が日本語をほろぼす、2011年、Amazonの書評?)
(57)
このやうに、
During the past 160 years since Japan's chained doors were forced to open,
「漢字(漢文)」を亡ぼしたい人々が、常にゐる。
願はくは、彼等こそ、日本から、ゐなくならむ。
平成27年10月05日、毛利太

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写真は蛍雪時代(高三)。この頃に、漢文が好きになりました。

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