日本語、英語、論理学。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案

日本語、英語、論理学。

―「03月03日の記事」を書き直します。
(01)
同じ意味内容ものが修辞とか倒置法とかによっていろいろの形態で表現されうるが、論理学では、表現形態が相異なったいくつかの文が同じ意味内容を示すかぎり、それらを同一の命題としてとりあつかう、また日本語で表わそうと外国語で書こうと、同一の主張内容を示すかぎり、同一の命題と見なされる。
(上田泰治、論理学、1967年、40頁)
従って、
(02)
① Every y has its parent.
② Every boy loves a certain girl.
③ The immortal human being does not exist.
④ There is not the parent who does not love one's child.
といふ「命題」は、
① y皆有其親。
② 少年皆有其所愛少女。
③ 無人不死。
④ 無親不愛其子。
といふ「命題」と、
① 全てyには、親である所のxがゐる。
② 全ての少年には、好きな少女がゐる。
③ 不死身の人間は存在しない。
④ 親であって、自分の子供を愛さない者はゐない。
といふ「命題」に等しい。
然るに、
(03)
① 全てyには、親である所のxがゐる。
② 全ての少年には、好きな少女がゐる。
③ 不死身の人間は存在しない。
④ 親であって、自分の子供を愛さない者はゐない。
といふ「命題」は、
① ∀y∃x(Pxy)
② ∀x(Bx→∃y(Gy&Lxy))
③ ~∃x(Mx&~Dx)
④ ∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy))
といふ風に、「記号化」される。
然るに、
(04)
「記号」などというものは歴史的経緯や何やらの「人間的な事情」に依存して決まっている便宜的なものにすぎず、数学の本質そのものではない。そして、現在一般的に使われている数学の記号は欧米起源のものなので、日本語とは「すれ違う」側面がある、というだけである。実際に、a+bの代わりに、日本語の「aとbを足す」という表現に応じて、ab+という記号で足し算を表しても支障はない。「ab+なんて思いっきりヘン」と感じるかもしれないが、それは「慣れていないだけ」である。その証拠に、ab+のような「日本語の語順に応じた記号」の体系が構成されていて、それが有益であることが実証されている。
(中島匠一、集合・写像・論理、2012年、190頁)
従って、
(03)(04)により、
(05)
① ∀y∃x(Pxy)
② ∀x(Bx→∃y(Gy&Lxy))
③ ~∃x(Mx&~Dx)
④ ∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy))
といふ「述語論理」は、
① ((xyP)∃x)∀y
② (xB→(yG&xyL)∃y)∀x
③ (xM&xD~)∃x~
④ (xP→(yxC&x~)∃y~)∀x
といふ「述語論理」に、等しい。
然るに、
(06)
① ((xyP)∃x)∀y
に於いて、
 xyP=xはyの親である
 ( )=といふ、
∃x=そのやうなxが存在する。
 ( )=といふことは、
 ∀y=全てのyに於いて、正しい。
(07)
② (xB→(yG&xyL)∃y)∀x
に於いて、
  xB=xが少年である
   →=ならば、
  yG=yは少女であり、
   &=尚且つ、
 xyL=xはyを愛する
 ( )=といふ、
∃y=そのやうなyが存在する。
 ( )=といふことは、
 ∀x=全てのxに於いて、正しい。
(08)
③ (xM&xD~)∃x~
に於いて、
  xM=xは人であり、
   &=尚且つ、
  xD=xは死な
   ~=ない。
 ( )=といった、
∃x=そのやうなxは存在し
   ~=ない。
(09)
④ (xP→(yxC&xyL~)∃y~)∀x
に於いて、
  xP=xが親である
   →=ならば、
 yxC=yはxの子供であり、
   &=尚且つ、
 xyL=xはyを愛さ
   ~=ない
   (  )=といふ、
∃y=そのやうなyが存在し
   ~=ない
 ( )=といふことは、
 ∀x=全てのxに於いて、正しい。
従って、
(09)により、
(10)
① xはyの親であるといふ、そのやうなxが存在する。ということは、全てのyに於いて、正しい。
② xが少年であるならば、yは少女であり、尚且つ、xはyを愛するといふ、そのやうなyが存在する。といふことは、全てのxに於いて、正しい。
③ xは人であり、尚且つ、xは死なない。といった、そのやうなxは存在しない。
④ xが親であるならば、yはxの子供であり、尚且つ、xはyを愛さないといふ、そのやうなyが存在しない。といふことは、全てのxに於いて、正しい。
といふ「日本語」は、
① ((xP)∃x)∀y
② (xB→(yG&xyL)∃y)∀x
③ (x人&xD~)∃x~
④ (xP→(yxC&xyL~)∃y~)∀x
といふ「論理式」の、「逐語訳」になってゐる。
然るに、
(11)
① ∀y∃x(Pxy)
② ∀x(Bx→∃y(Gy&Lxy))
の「英訳(オリジナル)」は、
① take any y:then there is an x such that x is parent of y.
② "for all x,if Bx then x loves some girl",and to say "x loves some girl" we say "there is a y such that Gy and x loves y".
である。
cf.
E.J.Lemmon,Beginnig Logic,1965,p99.p100(世界思想社、論理学初歩、1973年、126・128頁)
然るに、
(12)
① take any y:then there is an x such that x is parent of y.
② "for all x,if Bx then x loves some girl",and to say "x loves some girl" we say "there is a y such that Gy and x loves y".
といふ「英語」よりも、
① xはyの親であるといふ、そのやうなxが存在する。ということは、全てのyに於いて、正しい。
② xが少年であるならば、yは少女であり、尚且つ、xはyを愛するといふ、そのやうなyが存在する。ということは、全てのxに於いて、正しい。
といふ「日本語」の方が、私には、解りやすい。
従って、
(13)
phil_of_psychologyさん(2012/2/1610:02:05)曰く、
個人的には記号論理学の勉強は洋書でやるべきだと思います。
といふアドバイスは、少なくとも、私に対しては、正しくはない。
(14)
③ 無人不死=
③ 無〔人不(死)〕⇒
③ 〔人(死)不〕無=
③ 人として、死せざるは無し=
③ 死なない人間は、存在しない。
然るに、
(08)により、
(15)
③ (x人x死~)∃x~=
③ xは人であり、尚且つ、xは死なない。といった、そのやうなxは存在しない。
従って、
(14)(15)により、
(16)
③ 無人不死=
③ 無〔人不(死)〕⇒
③ 〔人(死)不〕無=
③ 人として、死せざるは無し=
③ 死なない人間は、存在しない=
③ (xM&xD~)∃x~=
③ xは人であり、尚且つ、xは死なない。といった、そのやうなxは存在しない。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(17)
無=No
人=man
不=doesn't
死=die.
従って、
(16)(17)により、
(18)
③ 無人不死=
③ No man doesn't die=
③ 人として、死せざるは無し=
③ 死なない人間は、存在しない。
といふ「等式」が成立する。
然るに、
(19)
このような用法は、特に英語で問題になる。たとえば、Nobody don't like me. (誰も僕を好いてくれない)や I don't know nothing. (僕は何も知らない) などがこれにあたる(ウィキペディア:二重否定)。
従って、
(19)により、
(20)
実際には、
③ No man doesn't die=
③ 死なない人間は、存在しない。
ではなく、
③ No  man doesn't die=
③ Any man doesn't die=
③ 一人も死なない(誰も死なない)。
といふことになる。
従って、
(18)(20)により、
(21)
③ No  man doesn't die=
③ Any man doesn't die=
③ 一人も死なない(誰も死なない)。
といふといふ「英語」は、「論理的」にはヲカシイのであって、次の(22)は、そのことを、述べてゐる。
(22)
しかし18世紀にきわめて人工的・作為的性質の強い規範文法が整備された際、否定呼応という言語現象に無理解な学者たちは、論理学規範を言語という特殊条件を考慮せずに適応し、「否定語を2回使うということは否定の否定を意味し、論理的に肯定である」と主張し、英語の否定呼応を抹殺した。とりわけ聖職者ロバート・ラウスが 1762 年に出版した文法書 A Short Introduction to English Grammar with Critical Notes は否定呼応を否定の否定であるとみなし(今日の言語学的観点からすれば誤解)し、この表現を非文法的な言い方の最もたるものとしている。これにより英語は否定呼応を用いる言語から緩叙法を用いる言語へと半ば強制的に変換させられた。
(ウィキペディア:二重否定)
(23)
④ xがyの親であるならば、xがyを愛さない。といふことは、有り得ない。
といふことを、「より正確?」に言ふと、
④ xが親であるならば、yはxの子供であり、尚且つ、xはyを愛さないといふ、そのやうなyが存在しない。といふことは、全てのxに於いて、正しい。
といふことになる。
(24)
④ xが親であるならば、yはxの子供であり、尚且つ、xはyを愛さないといふ、そのやうなyが存在しない。といふことは、全てのxに於いて、正しい。
といふ「日本語」を、「記号」で書くと、
④ ∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy))
といふ、ことになる。
(25)
④ 自分の子供を愛さない親はいない。
といふ「日本語」を、「機械翻訳」すると、
④ There is not the parent who does not love one's child.
といふことになる。
従って、
(02)(03)(23)(24)(25)により、
(26)
④ 無親不愛其子=
④ 親として、其の子を愛さ不るは無し=
④ ∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy))=
④ There is not the parent who does not love one's child.
然るに、
(27)
④ 無親不愛其子=
④ 親として、其の子を愛さ不るは無し=
④ ∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy))
の「否定」は、
⑤ 非無親不愛其子=
⑤ 親として、其の子を愛さ不るは無し=
⑤ ~(∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy)))
である。
然るに、
(28)
⑤ It is not true that there is not the parent who does not love one's child.
といふ「英語」を、「機械翻訳」すると、
⑤ 自分の子供を愛していない親が存在しないというのは本当ではありません。
といふことになる。
従って、
(27)(28)により、
(29)
⑤ 非無親不愛其子=
⑤ 親として、其の子を愛さ不るは無し=
⑤ ~(∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy)))=
⑤ It is not true that there is not the parent who does not love one's child.
然るに、
(30)
~=非=No
~=無=no
  親=parent
~=不=not
  愛=loves
  其=one's
  子=child
従って、
(31)
⑤ 非無親不愛其子=
⑤ No no parent not loves one's child=
⑤ ~(∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy)))=
⑤ It is not true that there is not the parent who does not love one's child.
従って、
(31)により、
(32)
~=非=No
~=無=no
~=不=not
といふことから、「漢文」であれば、ただ単に、
⑤ 非 無 親   不 愛  其  子  =
⑤ No no parent not loves one's child=
⑤ ~ ~ parent ~  loves one's child.
といふ風に、すれば良いところを、
「英語」の場合は、
⑤ It is not true that there is not the parent who does not love one's child.
といふ風に、
⑤ It is not true that
⑤ there is not
⑤ who does not
といふ風に、する必要がある。
従って、
(29)~(32)により、
(33)
「漢文の三重否定」は、「論理式の三重否定」と同様、「単純」であるが、
「英語の三重否定」は、「論理式の三重否定」とは異なり、「ムダが多い」。
従って、
(33)により、
(34)
「英語の三重否定」は、「論理式の三重否定」とは異なり、「ムダが多い」。
といふ意味で、「非論理的」である。
(35)
① ∀y∃x(Pxy)
② ∀x(Bx→∃y(Gy&Lxy))
③ ~∃x(Mx&~Dx)
④ ∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy))
⑤ ~(∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy)))
が、「述語論理」であるに対して、
⑥ P→~Q
は、「命題論理」である。
然るに、
(36)
① Every y has its parent.
② Every boy loves a certain girl.
③ The immortal human being does not exist.
④ There is not the parent who does not love one's child.
⑤ It is not true that there is not the parent who does not love one's child.
に対する、
① ∀y∃xPxy
② ∀x(Bx→∃y(Gy&Lxy))
③ ~∃x(Mx&~Dx)
④ ∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy))
⑤ ~(∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy)))
であるため、「述語論理」には、「主語」が有る。
然るに、
(37)
⑥ If it rains tomorrow, We will not go on a picnic.
のやうなそれを、
⑥  P=It rains tomorrow.
⑥  Q=We will go on a picnic.
⑥ ~Q=We will not go on a picnic.
とした上で、
⑥ P→~Q
とするのが、「命題論理」であるため、「命題論理」には、「主語」が無い。
然るに、
(38)
⑥ Pならば、Qではない。
に於いて、
 P=P
 →=ならば、
Q~=Qではない。
であるため、
⑥ Pならば、Qではない。
といふ「日本語(逐語訳)」にも、「主語」が無い。
然るに、
(39)
主語強要言語は以下の通りである。
英語、ドイツ語、フランス語、ロマンシュ語(スイス)、オランダ語、スカンディナヴィア言語(ノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語)
ここに挙げられた以外の言語はすべて主語非強要言語である。ということで、圧倒的多数の言語には主語が必要ないのである。
(月本洋、日本語は論理的である、2009年、66頁)
従って、
(37)(38)(39)により、
(40)
⑥ P→Q~=
⑥ Pならば、Qではない。
といふ「日本語(逐語訳)」に対して、「英語」の場合は、
⑥ It is P. Then it is not Q.(ヤフー!翻訳)
⑥ It's P. When it is, it isn't Q.(エキサイト翻訳)
がさうであるやうに、
⑥ It is P. It is not Q.
といふ、「意味の無い、It(主語)is」を必要とする。
従って、
(16)(21)により、
(41)
③ 無人不死=
③ 人として、死せざるは無し=
③ ~∃x(Mx&~Dx)
に対する、
③ No  man doesn't die=
③ Any man doesn't die=
③ 一人も死なない(誰も死なない)。
といふ「英語」は、「非論理的」である。。
加へて、
(34)により、
(42)
⑤ 非無親不愛其子=
⑤ 親として、其の子を愛さ不るは無きに非ず=
⑤ ~(∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy))=
⑤ It is not true that there is not the parent who does not love one's child.
に於いて、
⑤ It is not true that
⑤ there is not
⑤ who does not
は、「ムダである」が故に、
⑤ It is not true that there is not the parent who does not love one's child.
といふ「英語」は、「非論理的」である。
加へて、
(43)
⑤ P→~Q
を「翻訳」する際に、「意味の無い、It(主語)is」を必要とする。
といふ点に於いても、「英語」は、「非論理的」である。
従って、
(41)(42)(43)により、
(44)
「英語」は、「漢文や日本語」よりも、「非論理的」である。
然るに、
(45)
He was an old man who fished alone in a skiff in the Gulf Stream and he had gone eighty four days without taking a fish.
は「英語」であり、
I decided to try and write a popular book about space and time after the Loeb lectures at Harvard in 1982.
は「英語」であるだけなく、
The aim of the book is to provide the student with a good working knowledge of propositional and predicate calculi ― the foundations upon which modern symbolic logic.
も「英語」である。
然るに、
(46)
「論理学の教科書」が「英語」で書かれてゐる。といふ、その一方で、「英語」が「非論理的な言語」である。といふことは、有り得ない。
然るに、
(47)
「論理的」であれば「論理的」である程、「解りやすい」のであれば、
① ∀y∃x(Pxy)
② ∀x(Bx→∃y(Gy&Lxy))
③ ~∃x(Mx&~Dx)
④ ∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy))
⑤ ~(∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy))
といふ「論理式」ほど、「解りやすい表現」は、無いことになる。
然るに、
(48)
ヤフー!知恵袋(2009/9/1323:26:33)
論理学の授業ってそんなに難しいんですか?
大学で論理学の単位、落としました。
学部必須科目だったのに。
・授業は、きちんと出席して、校欠も認められていました(9割出席して、なおかつ出席点はありません。)。
・復習してなおかつ、特別に作って頂いた練習問題も添削していただきました。
が、全く理解できず、応用ができませんでした(引っかけ問題、見たことない問題が解けない。)
先生は、
「授業でしかやった事しかテストに出さないし、大丈夫。」
といっていたのに、テストは応用問題(今まで見たことない問題)でした。
今日、飲み会でわかったのですが、友達(5人)もみんな落したそうです。
しかし僕は、本気で勉強したですごく悔しく、イラつきます。
戻りに腹いせで、駅でビールぶちまけましたが、まだむかついてます。イラつきは収まりません。
久しぶりに取り乱すくらいイラつきました。
従って、
(49)
① ∀y∃x(Pxy)
② ∀x(Bx→∃y(Gy&Lxy))
③ ~∃x(Mx&~Dx)
④ ∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy))
⑤ ~(∀x(Px→~∃y(Cyx&~Lxy))
といふ「論理式」は、「それなりに、難しい」と、思はれる。
従って、
(46)(49)により、
(50)
「英語」は、
「漢文・訓読」よりも「非論理 的」なのではなく、
「漢文・訓読」よりも「非論理学的」であると、すべきである。
平成28年03月04日、毛利太。
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写真は蛍雪時代(高三)。この頃に、漢文が好きになりました。

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