「が」と「は」:「排他的命題」(7月12日)。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案

「が」と「は」:「排他的命題」(7月12日)。

(01)
① I said fifteen, not fifty.
と言ふ場合は、
① fifteen の、
①   teen を「強調(強く発音)」する。
(02)
① 私は15と言ったのであって、50とは言ってゐない。
と言ふ場合は、
①   15 を「強調(強く発音)」する。
従って、
(03)
① 私が言ったのは、
①{15、50}
の内の、
①{15}であって、
①{50}ではない。
と言ふ場合は、
①{15}を、「強調」する。
然るに、
(04)
① AはBであって、A以外はBでない。
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① What I said is fifteen, not fifty.
① 私は15と言ったのであって、50とは言ってゐない。
がさうであるやうに、
①「強調」は、「排他的命題」を主張する。
然るに、
(06)
①「Aが」 の「が」は「濁音」であって、
②「Aは」 の「は」は「清音」である。
然るに、
(07)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
とあるやうに、
①「濁音」である「~が」の方が、
②「清音」である「~は」よりも、「心理的な音量」が「大きい」。
従って、
(02)~(07)により、
(08)
② AはBである。
といふ「日本語」に対する、
① AがBである。
といふ「日本語」は、
① AがBである=
① AはBであって、A以外はBでない。
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
然るに、
(09)
(BならばAである。)⇔
(Bであって、Aでない)といふことはない。⇔
(Aでなくて、Bである)といふことはない。⇔
(AでないならばBでない。)
従って、
(10)
(BならばAである。)   といふ「命題」は、その「対偶」である所の、
(AでないならばBでない。)といふ「命題」に等しい。
cf.
(B→A)=~(B&~A)=~(~A&B)={~(~A)∨~B}=(~A→~B)
従って、
(10)により、
(11)
(BならばAである。)   =(BはAである。)  といふ「命題」は、
(AでないならばBでない。)=(A以外はBでない。)といふ「命題」に等しい。
従って、
(08)(11)により、
(12)
② AはBである。
といふ「日本語」に対する、
① AがBである。
といふ「日本語」は、
① AがBである=
① AはBであって、A以外はBでない(BはAである)。
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
然るに、
(13)
(3)Elizabeth Windsor = the present queen of England.
  エリザベス・ウィンザーは現在のイングランドの女王である。
  ∃x(Qx&(∀y(Qy→y=x)&x=e))
(W・G・ライカン、言語哲学入門、2005年、19・26・27頁)
従って、
(14)
③ エリザベス・ウィンザーはイングランドの女王であって、イングランドの女王はエリザベス・ウィンザーである。
③ エリザベス・ウィンザーはイングランドの女王であって、エリザベス・ウィンザー以外はイングランドの女王ではない。
からと言って、必ず、
③ エリザベス・ウィンザーがイングランドの女王である。
といふ風に、言ふわけではない。
然るに、
(15)
Q:誰がイングランドの女王ですか。
といふ「質問」は、
Q:イングランドの女王を特定して下さい。
といふ、「意味」である。
然るに、
(16)
③ イングランドの女王=エリザベス・ウィンザー
といふ風に、「特定」されるのであれば、
③ エリザベス・ウィンザーは女王であって、エリザベス・ウィンザー以外にイングランドの女王はゐない。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
Q:誰がイングランドの女王ですか。
A:エリザベス・ウィンザーがイングランドの女王です。
であって、
A:エリザベス・ウィンザーはイングランドの女王です。
とは、言はない。
従って、
(13)(14)(17)により、
(18)
③ BはAである。
③ A以外はBでない。
といふことは、
③ AがBである。
と言ひ得るための、「必要条件」であって、「十分条件」ではない。
然るに、
(19)
④ 地球上には、象以外の動物も、存在する。
といふことは、わざわざ、言はなくとも、「常識」である。
従って、
(20)
④ 象がゐる=
④ 象はゐるが、象以外はゐない。
と言ふのであれば、
④(今、目の前に)象がゐる。
といふ「意味」になることは、「必然」である。
然るに、
(21)
④(今、目の前に)お爺さんとお婆さんがゐる。
を「過去形」にすると、
⑥(昔、ある所に)お爺さんとお婆さんがゐた。
従って、
(19)~(21)により、
(22)
⑥ 昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでゐました。
⑥ Long,long ago there lived an old man and an old woman. 
と言ふ場合は、
⑥ その時点の、その場所に、お爺さんとお婆さんだけが住んでゐて(、他の人間は住んでゐない)。
然るに、
(23)
⑥ The old man went to the mountain to gather wood, and the old woman went to the river to do the washing. ではなく、
⑦ The old woman went to the mountain to gather wood, and the old man went to the river to do the washing. であるならば、
この場合は、「誰もが知ってゐる、桃太郎の話」とは、「逆」である。
然るに、
(08)により、
(24)
⑦ お爺さんが、川へ洗濯に行きました。
といふ「日本語」が、「排他的命題」であるならば、
⑦(お婆さんではなく)お爺さんが、川へ洗濯に行きました。
といふ「意味」である。
従って、
(24)により、
(25)
⑦ The old woman went to the mountain to gather wood, and the old man went to the river to do the washing. 
に於いて、
⑦「誰でも知ってゐる、桃太郎の話」とは、「逆」である。
といふことを、「確認」したいのであれば、
⑥ お婆さんは、山へ芝刈りに、お爺さんは、川へ洗濯に行きました。
とは言はずに、
⑦ お婆さんは、山へ芝刈りに、お爺さんが、川へ洗濯に行きました。
といふことは、「不自然」ではない。
従って、
(25)により、
(26)
⑥ お爺さんは、山へ芝刈りに、お婆さんは、川へ洗濯に行きました。
の「英訳」が、
⑥ The old man went to the mountain to gather wood, and the old woman went to the river to do the washing.
である一方で、
⑦ The old woman went to the mountain to gather wood, and the old man went to the river to do the washing. 
の「和訳」が、
⑥ お婆さんは、山へ芝刈りに、お爺さんが、川へ洗濯に行きました。
であることは、少しも、「不自然」ではない。
従って、
(22)(26)により、
(27)
⑦ 昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでゐました。お婆さんは、山へ芝刈りに、お爺さんが、川へ洗濯に行きました。
⑦ Long,long ago there lived an old man and an old woman. The old woman went to the mountain to gather wood, and the old man went to the river to do the washing.
に於いて、
⑦  an old man=お爺さんが
⑦ the old man=お爺さんが
である。
従って、
(28)
⑥ 昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでゐました。お爺さんは、山へ芝刈りに、お婆さんは、川へ洗濯に行きました。
⑥ Long,long ago there lived an old man and an old woman. The old man went to the mountain to gather wood, and the old woman went to the river to do the washing.
に於いて、
⑥  an old man=お爺さんが
⑥ The old man=お爺さんは
であったとしても、
⑦  an old man=お爺さんが
⑦ the old man=お爺さんが
である。
従って、
(28)により、
(29)
(1)新情報か旧情報かによって使い分ける方法。
会話の中や文脈で、主格となる名詞が未知(=新情報)の場合は「が」を使って表し、既知(=旧情報)の場合は「は」を使って表す。(「が」の使い分け - 日本語教師のページ 用語検索マンボウ)
といふことには、ならない。
然るに、
(07)(08)(12)により、
(30)
・「清音」である「~は」よりも、
・「濁音」である「~が」の方が、「心理的な音量」が「大きく」、尚且つ、
・「強調」は、「AはBであり、A以外はBでない。」といふ、「排他的命題」を主張する。
従って、
(30)により、
(31)
・「清音」である「~の」よりも、
・「策音」である「~が」の方が、「心理的な音量」が「大きく」、尚且つ、
・「強調」は、「排他的命題」を主張する。
然るに、
(32)
「他ならぬ」=「~以外でない所の」
 であるため、
「他ならぬ」は「排他的命題の、連体修飾語」である。
cf.
ず ず ず ぬ ね ○
従って、
(31)(32)により、
(33)
① さたの衣=さたの衣。
② さたが衣=(他ならぬ)さたの衣。
である。
然るに、
(34)
①{A、B、C}
に於いて、
②{他ならぬA}={(B、C)以外である所のA}
②{他ならぬB}={(A、C)以外である所のB}
②{他ならぬC}={(A、B)以外である所のC}
である。
従って、
(35)
①{加佐、佐太、多名}
に於いて、
②{他ならぬ佐太}={(加佐、多名)以外である所の佐太}
である。
然るに、
(36)
① サッタ≠カサ(サッタとカサは、等しくない。)
① サッタ≠タナ(サッタとタナは、等しくない。)
② サッタ≒サタ(サッタとサタは、ほぼ等しい。)
従って、
(35)(36)により、
(37)
②{他ならぬサタ}={(サッタと音が通じる所の)他ならぬサタ}
である。
然るに、
(38)
仏教の説話をふまえて薩埵ならぬ「さたが衣を脱ぎかけるかな」と歌をつけてかえした(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、163頁)。
その女房は、水干を直しもせずに投げ返した。直せといったほころび目に歌が書いて結びつけられてある。その歌には、
われが身は竹の林にあらねどもさたが衣を脱ぎかくるかな。
と書いてあった。この歌は、故事をふまえてつくられている。薩埵太子が、餓えた虎に自分の身をあたえて虎を救ったという仏教の有名な話がある。太子は自分の衣を竹の林に脱ぎかけ、虎の前におのが身を食わせたという。
 説教を聞いてその説話を知っていた女房は、「薩埵」と、「佐太」との音がかようところから、その故事をふまえ、「自分の身は、あの薩埵太子が衣を脱いでかけたという竹の林でもないのに、佐太が衣を脱いでかけてくること」という、この歌を作った(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、162頁)。
従って、
(36)(37)(38)により、
(39)
① その女房が、水干を直しもせずに投げ返した相手の{名前}が、
①{アカ、カサ、タナ、ナハ、ハマ、マヤ、ヤラ}ではない所の、
②{サタ}であるからこそ、
われが身は竹の林にあらねどもサタ(≒薩埵)が衣を脱ぎかくるかな。
といふ「歌」は、成立する。
従って、
(33)(39)により、
(40)
② さたが衣=(他ならぬ)さたの衣。
②(他ならぬ)さたの衣=有名なサッタ太子に音が通じる所の(他ならぬ)サタの衣。
である。
然るに、
(41)
【1】[の][が]
(2) 連体修飾語を作る。
 夏草や兵どもが(の)夢のあと。(奥の細道)
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、154頁改)
従って、
(40)(41)により、
(42)
① 佐太の衣
② 佐太が衣
の場合は、
① 佐太の(連体修飾語)衣(体言)=the 衣 of 佐太
② 佐太が(連体修飾語)衣(体言)=the 衣 of 佐太
である。
然るに、
(43)
②「現代語」であれば、
② 佐太(主語)が衣を脱ぎかける。
である。
従って、
(42)(43)により、
(44)
①「古文」としては、
① 佐太が(連体修飾語)
である以上、
② 佐太(主語)が衣を脱ぎかける。
といふ「識別」は、「マチガイ」である。
然るに、
(45)
② 佐太(主語)が衣を脱ぎかける。
といふ風に、「誤解」する場合であっても、
① われが身は竹の林にあらねども佐太が衣を脱ぎかくるかな。⇒
② 私の体は竹の林ではないのに(他ならぬ)佐太(主語)が衣を脱ぎかける。
となるため、
②(他ならぬ)佐太
といふ「意味」は、「保存」される。
従って、
(30)(31)(32)(45)により、
(46)
① AはBであり、A以外はBでない。
といふ「排他的名詞(Ⅰ)」の他に、
②(他ならぬ)Aが、Bである。
といふ「排他的命題(Ⅱ)」は、「現代語」にも、有るはずである。
然るに、
(47)
② 薩埵太子が、餓えた虎に自分の身をあたえて虎を救ったという仏教の有名な話がある。
といふことからすれば、
② あの薩埵太子=(鎌倉時代であれば、誰でも知ってゐる、あの)薩埵太子。
である。
然るに、
(48)
 あのチャップリンが大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
従って、
(47)(48)により、
(49)
③「既知のものを未知扱いしてゐる」かどうかは、別にして、いづれにしても、
③ あのチャップリンが大往生。
といふ「日本語」が、「週刊誌の見出し」であるならば、
③(他ならぬ)あの(有名な)チャップリンが大往生。
といふ「意味」である。
従って、
(46)(49)により、
(50)
① AはBであり、A以外はBでない。
②(他ならぬ)Aが、Bである。
に於いて、
① を「排他的命題(Ⅰ)」とし、
② を「排他的命題(Ⅱ)」とする。
然るに、
(51)
④ 2が素数であるならば、偶素数は存在する。
に於いて、
④(他ならぬ、あの、有名な)2が素数であるならば、
とすることは、出来ない。
然るに、
(52)
2を除くすべての素数は奇数であり、特に奇素数と呼ぶ(ウィキペディア)。
従って、
(53)
2以外の素数は、全て奇素数である。
(54)
④ 2が素数であるならば、偶素数は存在する。
といふ「仮言命題」は、
④ 3が素数であるならば、偶素数は存在する。
④ 5が素数であるならば、偶素数は存在する。
④ 7が素数であるならば、偶素数は存在する。
といふ「仮言命題」に置き換へることが、出来ない。
従って、
(54)により、
(55)
④ 2が素数であるならば、偶素数は存在する。
といふ「仮言命題」に於いて、
④ 2が を、
④ 他の数に、置き換へることは、出来ない。
それ故、
(56)
④ 2が素数であるならば、偶素数は存在する。
といふ「仮言命題」は、
④(他ならぬ)2が素数であるならば、偶数の素数は存在する。
といふ「意味」である。
然るに、
(57)
④ AがBならば、Cである。
として、
④ D≠A ならば、
④ DがBならば、Cである。
といふ「仮言命題」は、「真(本当)」であるとは、限らない。
従って、
(58)
④  AがBならば、Cである。
といふ「仮言命題」は、固より、
④(他ならぬ)AがBならば、Cである。
といふ、「意味」である。
従って、
(56)(58)により、
(59)
④ 2が素数であるならば、偶素数は存在する。
といふ「仮言命題」の、
④(他ならぬ)2が素数であるならば、
といふ「前件」は、「排他的命題(Ⅱ)」である。
然るに、
(60)
(1) 主語を示す。
 日の暮るるとき。 汝がさりし日。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、154頁改)
従って、
(60)により、
(61)
⑤ 2が素数である時に限って、偶素数は存在する。
といふ場合の、
⑤ 2が素数である時
に於ける、
⑤ 2が は、「文法」としては、
⑤ 日が暮れる時
に於ける、
⑤ 日が と、同じである。
従って、
(62)
④ 2が素数であるならば、
⑤ 2が素数である時に限って、
に於いて、
④ は、「排他的命題(Ⅱ)」であるが、
⑤ は、「排他的命題(Ⅱ)」であるとは、限らない。
平成28年07月12日、毛利太。
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