「返り点」に対する「括弧」の付け方。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案
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「返り点」に対する「括弧」の付け方。

(01)
「10進数」ではなく、「16進数」であるため、
A=10
B=11
C=12
D=13
E=14
F=15
である。
(02)
1D2B75346A89CE。
は、「14個の、一桁の16進数」であるとする。
(03)
1D2B75346A89CE。
にあって、「左から順」に、
1番の数=1
2番の数=D
3番の数=2
4番の数=B
5番の数=7
6番の数=5
7番の数=3
8番の数=4
9番の数=6
10番の数=A
11番の数=8
12番の数=9
13番の数=C
14番の数=E
とする。
(04)
1D2B75346A89CE。
にあって、「左から順」に、
N番の数の右側に、N番の数よりも小さい数が有るならば、その時に限って、それらの数を( )で括る。
然るに、
(05)
1D2B75346A89CE。
にあって、
1番の数である、1の右側に、1よりも小さい数は、無い。
2番の数である、Dの右側に、Dよりも小さい数は、(2B75346A89C)による、11個である。
3番の数である、2の右側に、2よりも小さい数は、無い。
4番の数である、Bの右側に、Bよりも小さい数は、  (75346A89)による、8個である。
5番の数である、7の右側に、7よりも小さい数は、   (5346)による、4個である。
6番の数である、5の右側に、5よりも小さい数は、    (34)による、2個である。
7番の数である、3の右側に、3よりも小さい数は、無い。
8番の数である、4の右側に、4よりも小さい数は、無い。
9番の数である、6の右側に、6よりも小さい数は、無い。
10番の数である、Aの右側に、Aよりも小さい数は、        (89)による、2個である。
11番の数である、8の右側に、8よりも小さい数は、無い。
12番の数である、9の右側に、9よりも小さい数は、無い。
13番の数である、Cの右側に、Cよりも小さい数は、無い。
14番の数である、Eの右側に、Eよりも小さい数は、無い。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
1D2B75346A89CE。
である限り、必然的に、
1D(2B(7(5(34)6)A(89))C)E。
といふ「一通り」であるものの、「読みやすさ」を考慮して、
1D{2B[7〔5(34)6〕A(89)]C}E。
であるとする、
然るに、
(05)により、
(07)
D{2B75346A89C}
にあって、
Dよりも大きい数は、{ }の中には無く、
B[75346A89]
にあって、
Bよりも大きい数は、[ ]の中には無く、
7〔5346〕
にあって、
7よりも大きい数は、〔 〕の中には無く、
5(34)
にあって、
5よりも大きい数は、( )の中には無く、
A(89)
にあって、
Aよりも大きい数は、( )の中には無い。
従って、
(05)(07)により、
(08)
1D{2B[7〔5(34)6〕A(89)]C}E。
に於いて、
 D{ }⇒{ }D
 B[ ]⇒[ ]B
 7〔 〕⇒〔 〕7
 5( )⇒( )5
 A( )⇒( )A
といふ「移動」を行ふと、
1D{2B[7〔5(34)6〕A(89)]C}E⇒
1{2[〔(34)56〕7(89)A]BC}DE=
1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E。
といふ「並び替へ(ソート)」が成立する。
従って、
(08)により、
(09)
我非{必求[以〔解(白話)法〕解(漢文)]者}也=
1D{2B[7〔5(34)6〕A(89)]C}E。
に於いて、
 D{ }⇒{ }D
 B[ ]⇒[ ]B
 7〔 〕⇒〔 〕7
 5( )⇒( )5
 A( )⇒( )A
といふ「移動」を行ふと、
1D{2B[7〔5(34)6〕A(89)]C}E⇒
1{2[〔(34)56〕7(89)A]BC}DE=
我{必[〔(白話)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
我は{必ずしも[〔(白話を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざる也。
といふ、「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(10)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、二九六頁)
従って、
(09)(10)により、
(11)
我非{必求[以〔解(白話)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
 非 の「補足語」は、{必求以解白話法解漢文者}であって、
 求 の「補足語」は、[以解白話法解漢文]であって、
 以 の「補足語」は、〔解白話法〕であって、
 解 の「補足語」は、(白話)であって、
 解 の「補足語」は、(漢文)である。
然るに、
(12)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
(13)
漢文に於ける、括弧は、漢字のスコープ(管到)を明示する働きを持つ。管到は、漢字の意味が及ぶ範囲のことをいふ。
然るに、
(14)
我非{必求[以〔解(白話)法〕解(漢文)]者}也。
から、
我 と、
必 を除いても、
非{求[以〔解(白話)法〕解(漢文)]者}也⇒
{[〔(白話)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
{[〔(白話を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざる也。
といふ、「漢文訓読」が、成立する。
従って、
(14)により、
(15)
我(主語) の「意味」は、直接ではなく、非 を介して、「他の語」に及んでゐて、
必(副詞) の「意味」は、直接ではなく、求 を介して、「他の語」に及んでゐる。
従って、
(11)~(15)により、
(16)
我非{必求[以〔解(白話)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
 非 の「意味」は、{必求以解白話法解漢文者}に及んでゐて、
 求 の「意味」は、[以解白話法解漢文]に及んでゐて、
 以 の「意味」は、〔解白話法〕に及んでゐて、
 解 の「意味」は、(白話)に及んでゐて、
 解 の「意味」は、(漢文)に及んでゐる。
従って、
(16)により、
(17)
我非必求以解白話法解漢文者也。
に於いて、「どの漢字の意味」が、「どの漢字」に及ぶのか。
といふことを、「把握出来れば
我非必求以解白話法解漢文者也。
といふ「漢文」の、
我非{必求[以〔解(白話)法〕解(漢文)]者}也。
といふ「補足構造」を、得ることが、出来る。
従って、
(09)(17)により、
(18)
我非必求以解白話法解漢文者也。
に於いて、「どの漢字の意味」が、「どの漢字」に及ぶのか。
といふことを、「把握出来れば
我非{必求[以〔解(白話)法〕解(漢文)]者}也=
1D{2B[7〔5(34)6〕A(89)]C}E。
に於いて、
 D{ }⇒{ }D
 B[ ]⇒[ ]B
 7〔 〕⇒〔 〕7
 5( )⇒( )5
 A( )⇒( )A
といふ「移動」を行ふことにより、
1D{2B[7〔5(34)6〕A(89)]C}E⇒
1{2[〔(34)56〕7(89)A]BC}DE=
我{必[〔(白話)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
我は{必ずしも[〔(白話を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざる也。
といふ、「漢文訓読」を、得ることが出来る。
従って、
(19)
我不読中国語。
に於いて、「どの漢字の意味」が、「どの漢字」に及ぶのか。
といふことを、「把握出来れば
我不〔読(中国語)〕=
16〔5(234)〕。
に於いて
 6〔 〕⇒〔 〕6
 5( )⇒( )5
といふ「移動」を行ふことにより、
16〔5(234)〕⇒
1〔(234)5〕6=
我〔(中国語)読〕不=
我〔(中国語を)読ま〕ず。
といふ、「漢文訓読」を、得ることが出来る。
然るに、
(20)
仮に、
我読中国語。
といふ「言葉」が有って、
我読中国語=
我中国語を読まず。
であるとするならば、
我読中国語=

である。
然るに、
(21)
我読(中〔国語)〕=
(2〔3)〕。
に於いて
 5( )⇒( )5
 6〔 〕⇒〔 〕6
といふ「移動」を行ふことにより、
15(26〔34)〕⇒
1(2〔34)5〕6=
我(中〔国語)読〕不=
我(中〔国語を)読ま〕ず。
といふ、「訓読」を、得ることが出来る。
然るに、
(22)
読中国語。に対する、
我読中国語。といふ「 漢文 」は無く、
〔( )〕  に対する、
 )〕  といふ「 括弧 」は無く、
レ 二 一  に対する、
二  一  という「返り点」も無い。
従って、
(20)(21)(22)により、
(23)
我読(中不〔国語)〕=
15(26〔34)〕。
のやうに、
5<6>4 & 5-4=1
のやうな「順番」を含む「漢文」は、「括弧・返り点」を用ゐて、「訓読」をすることが、出来ない
然るに、
(24)
MAGNA OPERA SCRIBENDA=
MAGNA(OPERA〔SCRIBENDA)〕⇒
(〔SCRIBENDA)MAGNA〕OPERA=
(〔書かれるべき)大きな〕作品。
であれば、
2<3>1 & 2-1=1
といふ「順番」を含んでゐる。
(25)
OMNES HIC SUNT HODIE=
OMNES HIC(SUNT〔HODIE)〕⇒
OMNES (〔HODIE)HIC〕SUNT=
みんな(〔今日は)ここに〕ゐる。
であれば、
3<4>2 & 3-2=1
といふ「順番」を含んでゐる。
(26)
QUO EUNT ILLI PUERI?=
QUO(EUNT〔ILLI PUERI)〕⇒
(〔ILLI PUERI)QUO〕EUNT=
(〔あの男の子たちは)何処へ〕行くのか。
であれば、
3<4>2 & 3-2=1
といふ「順番」を含んでゐる。
(27)
UBI SUNT FRATRES VESTRI?=
UBI〔SUNT[FRATRES(VESTRI)〕]⇒ 
〔[(VESTRI)FRATRES〕UBI]SUNT=
〔[(あなたたちの)兄弟たちは〕何処に]ゐるか。
の場合も、
3<4>2 1 & 3-2=1
といふ「順番」を含んでゐる。
(28)
NOBIS PUGNADUM EST PRO PATRIA=
NOBIS PUGNADUM〔EST[PRO(PATRIA)〕]⇒
NOBIS 〔[(PATRIA)PRO〕PUGNADUM]EST=
我々は〔[(祖国の)ために〕戦ふべき]である。
であれば、
4<5>3 & 4-3=1
といふ「順番」を含んでゐる。
従って、
(23)~(28)により、
(29)
半ば「積読」をしてゐた「ラテン語の教科書」を読む限り、例へば、
MAGNA OPERA SCRIBENDA.
OMNES HIC SUNT HODIE.
QUO EUNT ILLI PUERI?
UBI SUNT FRATRES VESTRI?
NOBIS PUGNADUM EST PRO PATRIA.
といふ「ラテン語」の場合は、「括弧・返り点」を用ゐて、「訓読」をすることが、出来ない。
然るに、
(30)
数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年)。
従って、
(29)(30)により、
(31)
「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く西洋文化研究者は、「漢文の語順」は、「訓読」に適してゐて、例へば、「ラテン語の語順」は、「訓読」に適してゐない。といふことを、確認すべきである。
平成28年09月21日、毛利太。
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写真は蛍雪時代(高三)。この頃に、漢文が好きになりました。

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