A=B(AがBである)。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案

A=B(AがBである)。

(01)
① AはBである。
に関して、昔から言はれてゐるやうに、
① 逆は必ずしも真ではない(The reverse is not necessarily true)。
従って、
(01)により、
(02)
① AはBである。
であるならば、
① AはBであって(、BはAでない)。か、
② AはBであって(、BはAである)。か、
の、いづれかである。
従って、
(02)により、
(03)
① AはBである。
といふ「日本語」には、
① AはBであって(、BはAでない)。
② AはBであって(、BはAである)。
といふ「二通り」が、有る。
(04)
A=√25,B=2+3
従って、
(04)により、
(05)
A=5, B=5
従って、
(05)により、
(06)
(A=B)=5
然るに、
(07)
C=2×3
従って、
(06)(07)により、
(08)
C=6 & C(A=B)
従って、
(06)(08)により、
(09)
A=B ⇔
A & C
然るに、
(10)
A=B ⇒
AはBである。
従って、
(09)(10)により、
(11)
A=B ならば、その時に限って、
AはBであって(、AでないならばBでない)。
然るに、
(12)
(AでないならばBでない)といふことは、
(A以外はBでない)といふことに、他ならない。
従って、
(11)(12)により、
(13)
A=B ならば、その時に限って、
AはBであって(、A以外はBでない)。
然るに、
(14)
A= ならば、その時に限って、
=A なので、
A= ならば、その時に限って、
はBであって(、はAである)。
従って、
(13)(14)により、
(15)
② A=B ならば、その時に限って、
はBであって(、はAである)。
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(03)(15)により、
(16)
① AはBである。
といふ「日本語」には、
① AはBであって(、BはAでない)。
はBであって(、はAである)。
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
といふ「三通り」が、有って、
①≠② であって、
②=③ である。
然るに、
(17)
Definition of identical proposition
:  a proposition in logic whose subject and predicate are identical in meaning and whose affirmation is therefore superfluous <“nothing inconceivable can be conceived” is an identical proposition>(www.merriam-webster.com)
(18)
Definition of exclusive proposition
:  a proposition in logic whose predicate is asserted to apply to its subject and no other <“none but the brave deserves the fair” is a simple exclusive proposition>(www.merriam-webster.com)
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
はBであって(、はAである)。
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
に於いて、
②「 同一命題 (identical proposition)」は、
③「排他的命題(exclusive proposition)」に、等しい。
然るに、
(20)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
b.Ton SENT Mary flowers.
c.Tom sent MARY flowers.
d.Tom sent Mary FLOWERS.
”Tom sent Mary flowers.”(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom を強調して発音すれば、「でもないトムがメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、「トム」という人間が他の人間と対比されているということです。
(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)
然るに、
(21)
でもないトムがメアリーに花を送った」といふのであれば、
「トムはメアリーに花を送った(が、トム以外は、メアリーに、花を送ってゐない)」といふ、ことになる。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
a.TOM sent Mary flowers.
といふ「強調形」は、「排他的命題(同一命題)」である。
cf.
トム送る 
(ヤフー!翻訳)
然るに、
(23)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます。
然るに、
(24)
①「トムは(清音)」であって、
③「トム音)」である。
従って、
(23)(24)により、
(25)
①「トムは(清音)」に対する、
③「トム音)」は、「音」による、「強調形」である。
従って、
(22)(25)により、
(26)
① Tom sent Mary flowers.
TOM sent Mary flowers.
① トムはメアリーに花を送った。
③ トムメアリーに花を送った。
に於いて、
③ は、両方とも、「排他的命題(同一命題)」である。
従って、
(26)により、
(27)
③ トムアメリカ人です。
といふ「日本語」は、例へば、
③ (今、ここにゐる二人の内では)トムだけがアメリカ人である
③ (今、ここにゐる二人の内では)トム以外はアメリカ人ではない
といふ「意味」である所の、「排他的命題(同一命題)」である。
従って、
(19)(27)により、
(28)
① トムアメリカ人です。
に対する、
③ トムアメリカ人です。
といふ「日本語」は、
① トムはアメリカ人であって、尚且つ、
アメリカ人はトムであって、
③ トム以外はアメリカ人はでない
といふ、「意味」になる。
従って、
(28)により、
(29)
アメリカ人は(二人の内の)どちらですか。
③ (二人の内の)どちらアメリカ人ですか。
に対して、
③ トム自身が、
③ 私アメリカ人です。
と言ふのであれば、その場合は、
① 私はアメリカ人であって、
アメリカ人は私であって、
③ 私以外はアメリカ人ではない
といふ、「意味」になる。
従って、
(29)により、
(30)
大野さんは(二人の内の)どちらですか。
③ (二人の内の)どちら大野さんですか。
に対して、
③ 大野さん自身が、
③ 私大野です。
と言ふのであれば、その場合は、
① 私は大野であって、
大野は私であって、
③ 私以外は大野ではない
といふ、「意味」になる。
然るに、
(31)
この組み合わせは次のような場合に現われる。
大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(30)(31)により、
(32)
「既知・未知
といふことは、言はなくとも、
大野さんはどちらですか。」
「私大野です。」
大野は私です。」
に於ける、「~・~」を説明することは、「可能」である。
然るに、
(33)
でもないトムがメアリーに花を送った」といふのであれば、
「トムはメアリーに花を送った(が、トム以外は、メアリーに花を送ってゐない)」といふことになる。ものの、
でもないトムがメアリーに花を送った」といふのであれば、その一方で、
「(なら、)トムがメアリーに花を送った」といふ、ことになる。
従って、
(33)により、
(34)
③ トムメアリーに花を送った(のであって、トム以外は送ってゐない)。
④ (ならあの)トムメアリーに花を送った。
に於いて、
③と④は、「両立」する。
従って、
(34)により、
(35)
④ あのチャップリンが大往生。
といふ「日本語」は、
④ (ならでもが知ってゐる)あのチャップリン大往生。
といふ風に、解することが、「可能」である。
然るに、
(36)
金銀大暴騰!
マリリンモンローディマジオと結婚!
のような見出しが女性週刊誌を賑わすのは、によってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。
あのチャップリン大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
従って、
(35)(36)により、
(37)
によってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。」
といふ風には、言はなくとも、
あのチャップリン大往生。
に於ける、「~」を説明することは、「可能」である。
平成29年01月06日、毛利太。
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