学而優則仕(Xué ér yōu zé shì)。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案

学而優則仕(Xué ér yōu zé shì)。

(01)
すべての馬の頭は動物の頭である。
といふ「命題」は、
(x)((∃y)(馬y&頭xy)→(∃y)(動物y&頭xy))
といふ風に、「記号化」される。
然るに、
(02)
エックス、あるワイ、うまワイ、アンド、ならば、あるワイ、どうぶつワイ、アンド あたまエックスワイ。
といふ風に、読んだとしても、
(xがある馬yの頭であるならば、そのxはある動物yの頭である。)といふことは、全てのxに於いて、正しい。
といふ「意味」は、浮かばない。
然るに、
(03)
(xがある馬yの頭であるならば、そのxはある動物yの頭である。)といふことは、全てのxに於いて、正しい。
といふことは、
すべての馬の頭は動物の頭である(All horses' heads are animals' heads).
といふことに、他ならない。
然るに、
(04)
「述語論理」が、「左から右へ、語順の通り」には、読まれないからといって、
「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろうか(勉誠出版、「訓読」論、2008年、1頁)。」といふ「批判」を、受けることはない。
(05)
Hwӕt, wē Gār-Dena in geārdagum,
þēodcyninga þrym gefrunon,
hū ðā ӕþelingas ellen fremedon.
…さて、当時の英語をご覧になって、どのような感想を持たれたでしょうか。
そもそも文字からして今の英語とは様相を異にしていますし、
現代英語に対応語を見いだすことのできる語も少ないですね。
私たちが通常知っている英語とは似ても似つかず、未知の言語のように思えたのではないでしょうか。
これが、古いドイツ語の一方言だった時代の英語の姿の一例なのですね。
(Webサイト:アーリーバードの収穫)
然るに、
(06)
「普通のイギリス人(ordinary british)」にとって「未知の言語」に等しい「言語」を、「英語」であるとするのであれば、「ドイツ語」も、「英語」である。
然るに、
(07)
「ドイツ語」は「英語」ではない。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
「古英語」は、むしろ「ドイツ語」であって、「英語」ではない。
然るに、
(09)
私の後輩に、中国語をずいぶん熱心に勉強している女性がいます。彼女は中国語の検定試験にもチャレンジしている達人ですが、この『論語』の文章を一目みて、
「これも中国語ですか? 私には全く分かりません!」
と言いました。彼女ほどの人が、本当に「全く分からない」のだろうか、と私はちょっと驚いたのですが、現代中国語と古文(漢文)では、かなり違いがあるのは事実です。現代中国語だけしか習っておらず、 古文(漢文)を読んだ経験がなければ、「全く分からない」ということも、ありうるかもしれません(Webサイト:日本漢文の世界)。
従って、
(05)~(09)により、
(10)
「古英語」が、「英語」ではないやうに、「漢文」は、「中国語」ではない。
(11)
例へば、
君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」を、
クンフツイキショイヨウジンシャガイジンシャ。
といふ風に、「音読」することは、「簡単」である。
然るに、
(12)
君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」の、
君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}。
といふ「補足構造」を、「把握」せずに、
君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」を、
君子不以其所以養人者害人=
君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず。
といふ風に、「訓読」することは、出来ない。
従って、
(11)(12)により、
(13)
君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」を、
クンフツイキショイヨウジンシャガイジンシャ。
といふ風に、「音読」することは、「簡単」であるが、
君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」を、
君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
といふ風に、「訓読」することは、「簡単」ではない。
然るに、
(14)
君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」が、
君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
といふ「意味」であるといふことを、「知らない」のに、
君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」を、
君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
といふ風に、「訓読する」ことは、出来ない。
従って、
(12)(14)により、
(15)
君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」の「意味」が分るならば、そのときに限って、
君子不以其所以養人者害人=
君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}。
といふ「漢文」は、
君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず。
といふ風に、「訓読する」ことが、出来る。
然るに、
(16)
徂徠は、書を千遍読めば意味はおのずとわかる(「読書千遍、其義自見」)とはどういうことか、幼時にはわからなかったと云う。意味がわからないのに読めるはずがなく、読めればわかっているはずだと思ったからである。しかし後になって、中華では文字列をそのままの順で読むために、意味がわからなくとも読めること、それに対して。日本では中華の文字をこちらの言語の語順に直して読むために意味がとれなければ読めないことに気づく(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、17頁)。
従って、
(15)(16)により、
(17)
荻生徂徠が、「意味がわからないのに読めるはずがなく、読めればわかっているはずだ。」といふのは、「音読」ではなく、「訓読」のことである。
従って、
(16)(17)により、
(18)
「音読」=「文字列をそのままの順で読む」。
「訓読」=「意味を把握した上で、日本語の語順で読む」。
といふ、ことになる。
然るに、
(19)
予は十四歳の時に南総に流れ落し、二十五歳で赦されて江戸に還るまでの十三年間、田夫野老の中で暮らす毎日で、学門上の師も友も持てなかった。ただ父の篋中にあった「大学諺解」一冊、これは父の手沢本であったが、この書物を一生懸命に何度も読んだものである。すると久しくして、群書に通じるようになった(田尻祐一郎、荻生徂徠、2008年、78頁)。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
荻生徂徠は、『意味を把握した上で、日本語の語順で読む所の、「訓読」』を通して、「独学」で、「群書」に通じるようになった。
といふ、ことになる。
然るに、
(21)
ワカッランかったらどうするか。もちろん、何度もいってきたように「見る」。徹底的に「見る」。
(二畳庵主人、漢文文法基礎、1984年、328頁)
従って、
(17)(20)(21)により、
(22)
例えば、
君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」が、「ワカラナイ」のであれば、その場合は、
君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」を、「見ながら、頭を捻る」ことになる。
然るに、
(23)
徂徠は「題言十則」のなかで以下のように述べている。
中華の人多く言へり、「読書、読書」と。予は便ち謂へり、書を読むは書を看るに如かず、と。此れ中華と此の方との語言同じからざるに縁りて、故に此の方は耳口の二者、皆な力を得ず、唯だ一双の眼のみ、三千世界の人を合はせて、総て殊なること有ること莫し。
ここでの「読書」は、文脈からして音読であろう(勉誠出版、「訓読」論、2008年、27・244頁)。
従って、
(17)~(23)により、
(24)
荻生徂徠がいふ、
読書不如看書(書を読むは書を看るに如かず)。
といふのは、
二畳庵主人がいふ、
ワカッランかったらどうするか。もちろん、何度もいってきたように「見る」。徹底的に「見る」。
といふことに、他ならない。
然るに、
(25)
江戸時代には、荻生徂来(おぎゅう・そらい、1666-1728)が、漢文訓読法を排斥して、漢詩文は唐音(中国語音)で音読すべきだと主張しました。荻生徂来は、長崎通詞であった岡島冠山(おかじま・かんざん、1674-1728)から唐話(とうわ=中国語)を学んでいました。漢詩文を唐音で読むという徂来の主張は強固なもので、彼の古文辞学(擬古的な漢文)とともに一世を風靡する大流行となりました。ただし、当時のいわゆる唐音というのは、中国南方の方言音で、現在の北京語を基礎とした普通話(pŭ tōng huà)とはかなり違うものでした(Webサイト:日本漢文の世界)。
(26)
専門家と称する人たちの大部分、99.9パーセントは(外国語として扱えという人ももちろん含めて)実は「訓読」すなわち日本語流に理解しているのである。これは厳たる事実である。といって悲しむ必要はない。なにも「外国語として理解」するということが最上の方法だとはいえないからである(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、62頁)。
従って、
(23)~(26)により、
(27)
荻生徂徠も、二畳庵主人も、
読書不如看書(訓読は音読より優れてゐる)。
としてゐるにも拘らず、その一方で、
荻生徂徠は、漢詩文は唐音(中国語音)で音読すべきだ。と主張し、
二畳庵主人は、中国語音で読むことは、最上の方法だとはいえない。と主張する。
従って、
(28)
荻生徂徠の、「書を読むは書を看るに如かず。といふ主張」と、「漢詩文を唐音で読むという徂来の強固な主張」は、「矛盾」する。
然るに、
(29)
ここのところ、自分の仕事の関係で現代中国語の教学や文法関係の本を紹介してきたが、古典漢語(漢文)のスタンダードをあげれば、
漢語文法論〈古代編〉 (1967年) 牛島 徳次
『漢語文法論〈古代編〉』
大修館、1967年。
漢語文法論〈中古編〉 (1971年) 牛島 徳次
『漢語文法論〈中古編〉』
大修館、1971年。
があるのだが、いかんせん、古書店の値段ではずば抜けて高い!!
両方とも「7万円台」というのは一体どうなっているのだと言いたくなる。それぞれ、品詞ごとに文の構造ごとに例文でもって解説がされているので、古典漢語を勉強する際には非常に役に立つものなのだが、一般に流布していないせいか、「漢文のよい参考書がない」という結果になってしまっている(ブログ:古代中国箚記)。
然るに、
(30)
(29)で示した、『漢語文法論〈古代編、中古編〉』の著者である、「牛島徳次 先生」は、
(31)で示すやうに、「学而優則仕(学びて優なれば、則ち仕ふ)」といふ、「返り点」さえ付かない、「極めて簡単な漢文」を、「中国語」としては、「読むこと」が、出来なかった。
(31)
学部の2年生でこの学習会に参加していた者たち二三人が、あるとき連れだってわたしの所に来、「学而優則仕」と書いた紙切れを示して、これどういう意味ですかと、たずねた。どうしたのか、と聞くと、数日前の”記録新聞”に出て来て、そのときの「注釈」を聞きながら書くことは書いたが、意味がわからないのでという。そうか、これは「論語」の中の句で、「学んでゆとりがあったら官吏になる」ということだと説明した。それから1週間か十日ぐらいたったある夜、わたしは何か所かわからない箇所があった。あとで、みんなで読み合わせ、突き合わせて解読して行くうち、わたしが「次の一句が全然わからなかった。」というと、そばにいた二三人の学生が一斉に笑い出して、いった。「先生、そこはこの間、先生がぼくたちに教えてくれた”Xué ér yōu zé shì”ですよ!」これがわたしであり、あとで述べる「A先生」なのである。漢字で書かれた”学而優則仕”を見ると、一応”
Xué ér yōu zé shì”と発音することはする。しかし、この一句の意味は、といえば、「マナンデユウナレバスナワチツコウ」であり、「学んでゆとりが有ったら官吏になる」なのだと、思う。これはまったく「訓読」で得た知識であり、漢字で書かれたものを、目だけに頼り、日本語だけ考えたものである(牛島徳次、中國語の学び方、1977年、59・60頁)。
然るに、
(32)
「学而優則仕(学びて優なれば、則ち仕ふ)。」といふ『これ以上簡単なそれが無いくらひに「簡単な漢文」』さえも読めないのであれば、さのやうな「現代中国語音読法」は、「わざわざ、苦労をして、学ぶ気」には、なれない。
平成29年06月23日、毛利太。
コメント (0)
コメントの投稿
前のページ(宛 荻生徂徠 様。)
次のページ(「漢文訓読」のメリット。)
プロフィール

タカ

Author:タカ
写真は蛍雪時代(高三)。この頃に、漢文が好きになりました。

リンク
このブログをリンクに追加する
最近の記事
月別アーカイブ
ブログ内検索
RSSフィード
最近のコメント