已然形+ば{P&(P→Q)}。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案
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已然形+ば{P&(P→Q)}。

(01)
1 (1)P→Q            A
2 (2)P&~Q           A
2 (3)P              2&E
2 (4)  ~Q           2&E
12(5)Q              12MPP
12(6)Q&~Q           45&I
1 (7)~(P&~Q)        26RAA
  (8)(P→Q)→~(P&~Q)  17CP
(02)
1  (1)~(P&~Q)        A
2  (2)  P            A
3  (3)    ~Q         A
23 (4)  P&~Q         23&I
123(5)~(P&~Q)&(P&~Q) 14&I  
12 (6)~~Q            35RAA
12 (7)  Q            6DN
1  (8)P→Q            27CP
   (9)~(P&~Q)→(P→Q)  18CP
従って、
(01)(02)により、
(03)
①     P→Q   (PならばQである)。
といふことは、すなはち、
① ~(P&~Q)(PであってQでない。といふことはない。)
といふことに、他ならない。
然るに、
(04)
① (PであってQでない。)といふことはない。
といふのであれば、
① 自体は、
① (PであってQである。)とは、「言ってゐない」。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① P→Q=~(P&~Q)
① Pなら(未然形)ばQである。
といふ「仮言命題」は、
①「Pである。」とは、「言ってゐない」し、
①「Qである。」とも、「言ってゐない」。
従って、
(05)により、
(06)
① P→Q=~(P&~Q)
① Pなら(未然形)ばQである。
である所の、
① 水濁ら(未然形)ば、釣りをせん〔作例〕。
① 悪人のまねとて人を殺さ(未然形)悪人なり〔徒然草〕。
① 月の都の人もうで来(未然形)ば、捕らへさせん〔竹取物語〕。
の場合は、
① 水が濁るとは限らないので、釣りをするとは限らない。
① 人を殺すとは限らないので、悪人であるとは限らない。
① 月の都の人が来るとは限らないので、捕へさせるとは限らない。
然るに、
(07)
① Pなら(未然形)ばQである。
② Pなれ(已然形)ばQである。
に於ける、
① Pなら(未然形)ば、
② Pなれ(已然形)ば、
に於いて、
① は、「仮定条件」と呼ばれてゐて、
② は、「確定条件」と呼ばれてゐる。
加へて、
(08)
* 未然 ―「未だ然ら」、 すなわち、「マダソウナッテイナイ」の意である。
* 已然 ―「未然」の反対で、すなわち、「スデニソウナッテイル」の意である。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、23・24頁)
従って、
(07)(08)により、
(09)
① Pなら(未然形・仮定条件)ばQである。
ではなく、
② Pなれ(已然形・確定条件)ばQである。
であるならば、少なくとも、
② に於いては、
② Pである。と、「言ってゐる」ことになる。
然るに、
(10)
② 二十七日、風吹き波荒けれ(已然形)ば、舟出さず〔土佐日記〕。
② 二十七日は、風が吹いて波が荒かったので、船出をあきらめた。
といふのは、紀貫之の「経験」である。
(11)
② 瓜食め(已然形)ば、子ども思うほゆ。栗食め(已然形)ば、まして偲はゆ〔万葉集〕。
② 瓜を食べると、自然と子どもことが思はれる。栗を食べると、いっそう恋しく思はれる。
といふのも、山上憶良の、「経験」である。
(12)
② 翁心地あしく、苦しき時も、この子を見れ(已然形)ば、苦しきこともやみぬ〔竹取物語〕。
② 翁は気分が悪く、苦しいときも、この子(かぐや姫)を見ると、苦しいこともおさまりました。
といふのも、竹取の翁の、「経験」である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
② 波荒けれ(已然形)ば、舟出さず〔原因・理由〕。
② 瓜食め(已然形)ば、子ども思うほゆ〔偶然条件〕。
② この子を見れ(已然形)ば、苦しきこともやみぬ〔恒常条件〕。
等が、さうである所の、
② Pなれ(已然形)ばQである。
の場合は、
② Pである。と、「言ってゐて」、
② Qである。と、「言ってゐる」。
然るに、
(14)
① 水濁らば(仮定条件)釣りをせん。
① 水が濁るならば(仮定条件)釣りをしよう。
は、「ことわざ」ではないが、
② 水清ければ(確定条件)魚住まず。
は、「ことわざ」である。
然るに、
(15)
ことわざは、観察と経験そして知識の共有によって、長い時間をかけて形成されたものである(ウィキペディア)。
従って、
(14)(15)により、
(16)
① 水濁らば(仮定条件)釣りをせん。
に対する、
② 水清ければ(確定条件)魚住まず。
といふ、「ことわざ」の場合は、
② (今までに、)きれい過ぎる水に住む魚を、見たことが無い。
といふ「観察・経験」の、「一般化(経験則)」である。
といふ風に、見なすことが、出来る。
従って、
(13)(16)により、
(17)
② 水清けれ(已然形)ば、魚住まず〔恒常条件〕。
② 波荒けれ(已然形)ば、舟出さず〔原因・理由〕。
② 瓜食め(已然形)ば、子ども思うほゆ〔偶然条件〕。
② この子を見れ(已然形)ば、苦しきこともやみぬ〔恒常条件〕。
等が、さうである所の、
② Pなれ(已然形)ばQである。
の場合は、
② Pである。と、「言ってゐて」、
② Qである。と、「言ってゐる」。
然るに、
(18)
1(1) P&(P→Q)    A
1(2) P          1&E
 (3){P&(P→Q)}→P 12CP
(19)
1(1) P&(P→Q)    A
1(2) P          1&E
1(3) P→Q        1&E
1(4) Q          23MPP
 (5){P&(P→Q)}→Q 14CP
従って、
(18)(19)により、
(20)
② {P&(P→Q)}ならば、必ず、Pである。
② {P&(P→Q)}ならば、必ず、Qである。
従って、
(17)(20)により、
(21)
② P&(P→Q)
② Pなれ(已然形)ばQである。
の場合は、
② Pである。と、「言ってゐて」、
② Qである。と、「言ってゐる」。
従って、
(05)(21)により、
(22)
① P→Q である所の、
① Pなら(未然形)ばQである。
といふ「命題」は、
①「Pである。」とは、「言ってゐない」し、
①「Qである。」とも、「言ってゐない」。ものの、
その一方で、
② P&(P→Q) である所の、
② Pなれ(已然形)ばQである。
といふ「命題」は、
② Pである。と、「言ってゐて」、
② Qである。と、「言ってゐる」。
然るに、
(23)
古典語では順接の仮定条件は「行かば(行クナラバ)」のように「未然形+ば(接続助詞)」の形であらわした。後期江戸からは、「已然形+ば」はもっぱら仮定条件の意味を表わすようになった。そうなると、「已然形」はもはや「已然形」ではなくなってしまい、「仮定形」と呼ぶべき意味用法を備えるようになった。ここに古典語の「已然形」が消滅し、現代語の「仮定形」によって取って代わられたことになる(浅川哲也・竹部歩美、歴史的変化から理解する現代日本語文法、2014年、97・149頁)。
従って、
(22)(23)により、
(24)
② P&(P→Q)
② Pなれ(已然形)ばQである。
である所の、
②「已然形+ば」
といふ「それ」が、後期江戸からは、
① P→Q
② Pなれ(已然形)ばQである。
といふ「仮定条件」の「意味」を、表すやうになった。
然るに、
(25)
高校で習ふ所の、「古典文法」は、「後期江戸文法」ではなく、「平安中古文法」である。
従って、
(24)(25)により、
(26)
② P&(P→Q)
② Pなれ(已然形)ばQである。
ではない所の、
① P→Q
② Pなれ(已然形)ばQである。
といふ「後期江戸文法」は、高校で習ふ所の、「古典文法」からすれば、「間違ひ」になる。
従って、
(26)により、
(27)
① 一旦緩急あら(未然形)ば義勇公に奉じ、以て天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂すべし。
ではない所の、
② 一旦緩急あれ(已然形)ば義勇公に奉じ、以て天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂すべし。
といふ「後期江戸文法」は、高校で習ふ所の、「古典文法(平安中古文法)」からすれば、「間違ひ」になる。
然るに、
(28)
反論したのが大阪大名誉教授の加地伸行さんである。
月刊誌『WiLL』(6月号)で、まこと懇切丁寧に「あば」の正当性を主張した。
全文を引けないのは残念だが、概略を以下に示したい。
古文の立場からは、助詞「ば」には3種のつながり方がある。
(1)「あらば」(未然形+ば)は「もし~であるならば」(仮定)を表す。
(2)「あれば」(已然(いぜん)形+ば)は「~ので」(理由)や「~したところ」(契機)を表す。
(3)「あれば」(已然形+ば)は(2)の意味のほかにも、「或(あ)ることが有ると、いつでもそれに伴って後(あと)のことが起こる」という〈一般条件〉を表す。
「一旦緩急あれば…」も「国民として、危急が起きたときには当然、戦う」の意だから(3)に相当し、文法として正しい。
(2017.6.28 10:01【国語逍遥】)
従って、
(28)により、
(29)
一旦緩急あれ(已然形)ば、
の場合は、
仮定条件
ではなく、
一般条件
であるため、「古典文法(平安中古文法)」としても、「正しい」。
といふ風に、大阪大名誉教授の加地伸行さんは、「主張」する。
然るに、
(30)
】[意味]① あした(
(角川新字源、1968年、459頁)
然るに、
(31)
一朝】③ 事件などがおこることを仮定するときのことば。いったん
(学研、漢和大辞典、1978年、4頁)
従って、
(30)(31)により、
(32)
一旦】=仮定するときのことば(もしも・IF)
である。
従って、
(32)により、
(33)
一旦、緩急あれ(已然形)ば、
といふ「それ」は、
もしも緩急あれ(已然形)ば、
といふ、「意味」になる。
然るに、
(34)
もしも緩急あれ(已然形)ば、
の場合は、言ふまでもなく、
仮定条件
であって、
一般条件
ではない
cf.
そして、もし危急の事態が生じたら(Webサイト:教育勅語と現代語訳)、
従って、
(29)(34)により、
(35)
一旦、緩急あれ(已然形)ば、
もしも緩急あれ(已然形)ば、
の場合は、
仮定条件
ではなく、
一般条件
であるとする、大阪大名誉教授の加地伸行さんの「主張」は、「間違ひ」である。
然るに、
(36)
平安中古文法では、順接仮定条件を〈未然形+「ば」〉順接確定条件を、〈已然形+「ば」〉として、明確に使い分けていた。けれども、
江戸近世文法では、〈已然形+「ば」〉が、現代口語文法の〈仮定形+「ば」〉に大きく接近し、順接仮定条件をも表すようになった。
現行の訓読は、直接には近世後期の訓読を引き継いでいるため、順接仮定条件・順接確定条件のいずれをも〈已然形+「ば」〉で表すことが許容される。
(古田島洋介・湯城吉信、漢文訓読入門、2011年、80頁)
従って、
(35)(36)により、
(37)
一旦緩急あ然形)ば、
の場合は、「現行の訓読法」としては、「間違ひ」ではないものの、高校で習ふ所の、「古典文法(平安中古文法)」からすれば、「間違ひ」になる。

然るに、
(38)

平安中古文法(古典文法)」こそは、それが「死語」であることによって、「逆説的」に、「日本語」に於ける、「唯一の、普遍(不変)的」である所の、「文法」である。
平成29年08月20日、毛利太。
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