「(自然演繹の)仮定の解消」は「理解しやすい」。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案

「(自然演繹の)仮定の解消」は「理解しやすい」。

(01)
①{P→Q,~Q} ~P
②{P→Q} ~Q→~P
といふ「それ(sequent)」は、
①{PならばQであるが、Qでない。}従って、Pでない。
②{PならばQである。}従って、QでないならPでない。
といふ「意味」である。
従って、
(02)
 P=南半球である。
~P=南半球でない。
 Q=12月は夏である。
~Q=12月は冬である。
とするならば、
①{P→Q,~Q}├ ~P
②{P→Q}├ ~Q→~P
といふ「それ」は、それぞれ、
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、南半球ではない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(03)
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、(東京は)南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、(東京は)南半球ではない。
に於いて、
① が「本当」であって、
② が「ウソ」である。といふことは、「あり得ない」。
従って、
(03)により、
(04)
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、南半球ではない。
といふ「推論」が、「妥当」であることを、「証明」したいのであれば、
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、南半球ではない。
といふ「推論」が、「妥当」であることを、「証明」すれば、「十分」である。
然るに、
(05)
①{P→Q,~Q ~P
②{P→Q} ~Q→~P
に於いて、
①{P→Q,~Q}は、「仮定集合」であって、
②{P→Q}   は、「仮定集合」である。
従って、
(02)(05)により、
(06)
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、南半球ではない。
に於いて、
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}は、「仮定集合」であって、
②{南半球ならば、12月は夏である。}          は、「仮定集合」である。
従って、
(04)(06)により、
(07)
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、南半球ではない。
といふ「推論」が、「妥当」であることを、「証明」したいのであれば、
②{南半球ならば、12月は夏である。}といふ「仮定集合」に、「最初に」、
①                 {12月は冬である。}といふ「仮定を加へて
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}といふ「仮定集合」とし、その上で、
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}といふ「仮定集合」を用ゐて、
①                            「従って、南半球ではない。」といふ「結論を導けば良い
といふ、ことになる。
cf.
  1  (1) P→Q  A(仮定)
    (2)~Q    A(仮定)
    3(3) P    A(仮定)
  1 3(4)   Q  13MPP
  123(5)~Q&Q  24&I
① 1 (6)~P    35RAA
② 1  (7)~Q→~P 26CP
従って、
(07)により、
(08)
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、南半球ではない。
といふ「推論」が、「妥当」であることを、「証明」したいのであれば、
②{南半球ならば、12月は夏である。}といふ「仮定集合」に、
①                 {12月は冬である。}といふ「仮定」を、「加へ」て、
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}といふ「仮定集合」とし、その後で、
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}といふ「仮定」から、
①                 {12月は冬である。}といふ「仮定」を、「解消」することになる。
然るに、
(09)
困難さの第二の理由は、自然演繹には「仮定の解消」(最初に仮定しておいて、あとでなかったことにする)という手続きがあり、それがなかなか理解しづらいことです(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、144頁)。」といふ風に、小島先生は、述べてゐて、尚且つ、確かに、(08)は、「幾分、ややこしい」。
然るに、
(10)
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、南半球ではない。
に於いて、
① が「本当」であって、
② が「ウソ」である。
といふことは、「あり得ない」が故に、
② を「証明」したければ、
① を「証明」すれば良い。
といふ、「単純な理屈」が、要するに、「仮定の解消」である。
従って、
(09)(10)により、
(11)
「なかなか理解しづらい」とされてゐる、「仮定の解消」であっても、「さ程、理解しくい」とは、思へない。
然るに、
(12)
自然演繹は、「仮定の解消」のおかげで公理なしに演繹システムとなり得ており、その意味で「仮定の解消」は自然演繹の本質だと言っても過言ではありません。
(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、144頁)
従って、
(11)(12)により、
(13)
「自然演繹の本質(仮定の解消)」は、それなりに、「理解しやすい」と、すべきである。
(14)
③ P
④ P
は、それぞれ、
③ Pである。故に、Pである。
④ Pであるならば、Pである。
といふ、「意味」である。
従って、
(15)
③ P├ P
であれば、
③ Pである。ことは、「定」であるが、
④ P→ P
であれば、
④ Pである。ことは、「定」である。
然るに、
(16)
1 (1)   P→P        A
 2(2)   P          A
12(3)     P        12MPP
1 (4)   P→P        23CP
  (5)  (P→P)→(P→P) 14CP
  (6) ~(P→P)∨(P→P) 含意の定義
  (7)~(~P∨P)∨(~P∨P)含意の定義
  (8) (P&~P)∨(~P∨P)ド・モルガンの法則
然るに、
(17)
④ (P&~P)∨(~P∨P)
に於いて、
④ (P&P)=Pであって、Pでない
は、「矛盾」である。
従って、
(18)
④ (P&~P)∨(~P∨P)
であれば、
④ ~P∨P=Pでないか、Pである(排中律)。
が、「真(本当)」である。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
④ PならばPである。ならば、PならばPである。
といふ「同一律」が、「常に真」であるからと言って、
④ Pでないか、Pである。
といふ「排中律」も、「常に真」であるが故に、
④ PならばPである。
に於いて、
④ Pである。
とは限らない。といふことは、「当然」である。
平成29年11月06日、毛利太。
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