「マラガシ語・訓読」。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案

「マラガシ語・訓読」。

(01)
5‐a)Tsy1 faly2 Rabe3 safria4 marary5 Rasoa6.
5‐b)ラソアが6 病気な5 ので4 ラベは3 幸せで2 ない1.
このように、日本語とマラガシ語では文のいろいろな構成要素の配列が全く逆の形をとって現われるが、これは、ことばの線状化の原理がこの2つの言語でちょうど逆方向に働いているからである。
(世界言語への視座―歴史言語学と言語類型論 単行本 – 2006/11/1松本 克己(著)、159頁)
従って、
(01)により、
(02)
① Tsy1 faly2 Rabe3 safria4 marary5 Rasoa6 =
① Tsy1〈faly2{Rabe3[safria4〔marary5(Rasoa6)〕]}〉.
に於いて、
①      Tsy1〈 〉⇒ Tsy1
①     faly2{ }⇒ faly2
①    Rabe3[ ]⇒ Rabe3
① safria4〔 〕⇒ safria4
① marary5( )⇒ marary5
といふ「移動」を行ふと、
① Tsy1 faly2 Rabe3 safria4 marary5 Rasoa6 =
① Tsy1〈faly2{Rabe3[safria4〔marary5(Rasoa6)〕]}〉⇒
① 〈{[(Rasoa6)marary5〕safria4]faly2}Rabe3〉Tsy1 =
① 〈{[(ラソアが6)病気な5〕ので4]ラベは3}幸せで2〉ない1。
といふ「マラガシ語・訓読」が、成立する。
従って、
(03)
「言ひ換へ」ると、
① Tsy1〈faly2{Rabe3[safria4〔marary5(Rasoa6)〕]}〉
に於いて、
①「より内側の括弧の中」を先に読むと、
① 〈{[(ラソアが6)病気な5〕ので4]ラベは3}幸せで2〉ない1。
といふ「マラガシ語・訓読」が、成立する。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① Tsy1〈faly2{Rabe3[safria4〔marary5(Rasoa6)〕]}〉.
① 〈{[(ラソアが6)病気な5〕ので4]ラベは3}幸せで2〉ない1.
といふ「例文」に於いて、「マラガシ語」と「日本語」は、「語順こそ、」であるが、「構造自体は、全く同じ」である。
然るに、
(05)
① Tsy1〈faly2{Rabe3[safria4〔marary5(Rasoa6)〕]}〉.
ではなく、
② safria4(Rasoa6 marary5)Rabe3 Tsy1(faly2).
に於いて、
② safria4( )⇒ safria4
②    Tsy1( )⇒ Tsy1
といふ「移動」を行ふと、
② safria4 Rasoa6 marary5 Rabe3 Tsy1 faly2 =
② safria4(Rasoa6 marary5)Rabe3 Tsy1(faly2)⇒
② (Rasoa6 marary5)safria4 Rabe3(faly2)Tsy1=   
② (ラソアが6 病気な5)ので4ラベは3(幸せで2)ない1。
といふ「マラガシ語・訓読」が、成立する。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
「主語‐述語の、語順」は、「日本語と共通」であるが、
「主語‐述語の、語順」以外は「日本語と」であるといふ「言語」が、有るとしても、
「括弧」を用ゐて、その「言語」を「訓読」することは、「可能」である。
然るに、
(07)
③ marary5 safria4 Rasoa6 =
③ marary5(safria4〔Rasoa6)〕.
に於いて、
③ marary5( )⇒ marary5
③ safria4〔 〕⇒ safria4
といふ「移動」を行ふと、
③ marary5 safria4 Rasoa6 =
③ marary5(safria4〔Rasoa6)〕⇒
③ (〔Rasoa6)marary5〕safria4=
③ (〔ラソアが6)病気な5〕ので4。
といふ「マラガシ語・訓読」が、成立する。
然るに、
(08)
③ marary5(safria4〔Rasoa6)〕.
に於ける、
③ 5(4〔6)〕.
といふ「括弧」、すなはち、
③  (  )
といふ「それ」は、
③    ( )
ではないが故に、実際には、「括弧」ではない
従って、
(02)(08)により、
(09)
① Tsy1 faly2 Rabe3 safria4 marary5 Rasoa6.
に対して、
③ Tsy1 faly2 Rabe3 marary5 safria4 Rasoa6.
といふ「非マラガシ語」を、「括弧」を用ゐて、「訓読」することは、「可能」ではない
加へて、
(10)
④ Who are you?=
④ Who(are〔you)〕?⇒
④ (〔you)Who〕are?=
④ (〔あなた)誰〕ですか。
に於いて、
④  (  )〕
といふ「それ」は、
④    ( )〕
ではないが故に、「括弧」ではないし、
(11)
⑤ What are you doing now?=
⑤ What(are[you doing〔now)〕]?⇒
⑤ ([you 〔now)What〕doing]are?=
⑤ ([あなたは〔今)何を〕して]ゐますか。
に於いて、
⑤ ( [ 〔 )〕]
といふ「それ」は。
[ 〔 ( )〕]
ではないが故に、「括弧」ではない
従って、
(10)(11)により、
(12)
例へば、
④ Who are you ?
⑤ What are you doing now?
といふ「英語」を、「括弧」を用ゐて、「訓読」することは、「可能」ではない
cf.
WH移動(生成文法)。
然るに、
(13)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(06)(13)により、
(14)
括弧」を用ゐて、「補足構造だけを、「漢文の語順」と「」にするならば、その場合の「漢字の配列」は、「日本語の語順」と「等しい」。
といふ、ことになる。
然るに、
(15)
⑤ 我非必 
従って、
(14)(15)により、
(16)
⑥ 我非必不常求以解中文法解漢文者也=
⑥ 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也=
⑥ 私は必ずしも、中国語を理解する方法を用ゐて、漢文を理解しようとしない者ではない
⑥ 私は、時には、中国語を理解する方法を用ゐて、漢文を理解しようと、する者である
に於ける、
⑥   〈  {  [ 〔 (  ) 〕 (  )]} 〉
といふ「括弧」は、
⑥ 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文」の、「補足構造」を表してゐる。
従って、
(15)(16)により、
(17)
⑥ 我非必不常求以解中文法解漢文者也=
⑥ 我非必不常求中文漢文也。
に於ける、
⑥ 地 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
といふ「返り点」も、
⑥ 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文の補足構造」を表してゐる。
然るに、
(18)
【定義】返り点とは、漢文すなわち古典中国語の語順を、日本語の語順に変換する符号である(古田島洋介、湯城吉信、漢文訓読入門、2011年、45頁)。
といふ【定義】には、「補足構造」といふ「言葉」が無く、それ故、【定義】としては、「一面的」であって、「十分」ではない。
従って、
(19)
【定義】返り点とは、漢文すなわち古典中国語の「補足構造」を表すと同時に、古典中国語の語順を日本語の語順に変換する符号である。
とするのが、「正しい」。
従って、
(19)により、
(20)
例へば、
⑦ 楚人有鬻楯與矛者。譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。或曰、以子之矛、陷子之楯何如。其人弗能應也。
といふ「漢文」を、
⑦ Chǔ rén yǒu yù dùn yǔ máo zhě. Yù zhī yuē, wú dùn zhī jiān, mò néng xiàn yě. Yòu yù qí máo yuē, wú máo zhī lì, yú wù wú bù xiàn yě. Huò yuē, yǐ zǐ zhī máo, xiàn zǐ zhī dùn hérú. Qí rén fú néng yīng yě(グーグル翻訳).
といふ風に、「音読」しようと、
⑦ 楚人に楯と矛とを鬻ぐ者有り。之を誉曰く、吾が楯の堅きこと、能く陥す莫きなり、と。また其の矛を誉めて曰く、吾が矛の利なること、物に於いて陥さざる無なし、と。或るひと曰く、子の矛を以もって、子の楯を陥さば何如、と。其の人応ふる能はざるなり。
といふ風に、「訓読」しようと、
⑦ 楚人有鬻楯與矛者。譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。或曰、以子之矛、陷子之楯何如。其人弗能應也。
といふ「漢文」には、
⑦ 楚人有〔鬻(楯與矛)者〕。譽(之)曰、吾楯之堅、莫〔能(陷)〕也。又譽(其矛)曰、吾矛之利、於(物)無〔不(陷)〕也。或曰、以(子之矛)、陷(子之楯)何如。其人弗能弗〔能(應)〕也。
といふ「補足構造」が有る。といふことには、「変り」が無い
従って、
(20)により、
(21)
⑦ 楚人有[鬻〔楯與(矛)〕者]。譽(之)曰、吾楯之堅、莫〔能(陷)〕也。又譽(其矛)曰、吾矛之利、於(物)無〔不(陷)〕也。或曰、以(子之矛)、陷(子之楯)何如。其人弗能弗〔能(應)〕也。
といふ「補足構造」を、「把握」しない限り、
⑦ 楚人有鬻楯與矛者。譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。或曰、以子之矛、陷子之楯何如。其人弗能應也。
といふ「漢文」を、
⑦ 楚人に楯と矛とを鬻ぐ者有り。之を誉曰く、吾が楯の堅きこと、能く陥す莫きなり、と。また其の矛を誉めて曰く、吾が矛の利なること、物に於いて陥さざる無なし、と。或るひと曰く、子の矛を以もって、子の楯を陥さば何如、と。其の人応ふる能はざるなり。
といふ風に、「訓読」することは、出来ない。
然るに、
(22)
チュの人々は誰を馬鹿にして槍を投げる。言った、私はケネディの強い、Moの評判は沈むことができます。また、槍として知られている、私は利点の槍、すべてにも陥ると述べた。または、子供の槍で、</ s>の崩壊はどうですか?その人はまたできるはずです(グーグル翻訳)。
といふ「それ」は、「意味不明」である。
従って、
(20)(22)により、
(23)
「グーグルのAI」は、「中国語」は知ってゐても、
⑦ 楚人有鬻楯與矛者。譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。或曰、以子之矛、陷子之楯何如。其人弗能應也。
のやうな「漢文」に対する「知識(データ)」が無いため、
⑦ Chǔ rén yǒu yù dùn yǔ máo zhě. Yù zhī yuē, wú dùn zhī jiān, mò néng xiàn yě. Yòu yù qí máo yuē, wú máo zhī lì, yú wù wú bù xiàn yě. Huò yuē, yǐ zǐ zhī máo, xiàn zǐ zhī dùn hérú. Qí rén fú néng yīng yě(グーグル翻訳).
といふ風に、「音読」は出来ても、その「意味」を、「理解すること」は、出来ない。
従って、
(23)により、
(24)
少なくとも、「グーグルのAI」にとって、「中国語の知識」は、「漢文を読む」上で、「役に立たない」。
従って、
(25)
そして重野の講演を後れること七年、文化大学の講師を務めていたイギリス人チャンバレン氏も一八八六年『東洋学芸雑誌』第六一号に「支那語読法ノ改良ヲ望ム」を発表し、「疑ハシキハ日本人ノ此支那語ヲ通読スル伝法ナリ、前ヲ後ニ変へ、下ヲ上ニ遡ラシ、本文ニ見へザル語尾ヲ附シ虚辞ヲ黙シ、若クハ再用スル等ハ、漢文ヲ通読スルコトニアランヤ。寧ロ漢文ヲ破砕シテ、其片塊ヲ以テ随意ニ別類ノ一科奇物ヲ増加セリト云フヲ免カレンヤ。」「畢竟日本語ハ日本ノ言序アリ、英語ハ英ノ語次存スルコトは皆々承知セリ、唯支那語ニノミ治外法権ヲ許ルサズシ権内ニ置クハ何ソヤ」(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、50頁)。
といふ「見解」は、すなはち、「マチガイ」である。
(26)
5‐b)ラソアが6 病気な5 ので4 ラベは3 幸せで2 ない1.
5‐a)Tsy1 faly2 Rabe3 safria4 marary5 Rasoa6.
のやうに、「語順」自体は、「真逆」であるが、
① 〈{[(ラソアが6)病気な5〕ので4]ラベは3}幸せで2〉ない1.
① Tsy1〈faly2{Rabe3[safria4〔marary5(Rasoa6)〕]}〉.
のやうに、「構造」自体は、「同一」な「言語」が有ることを、知るべきである。
平成29年11月11日、毛利太。
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