「括弧」の付け方。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案

「括弧」の付け方。

(01)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 A B C D E F G
は、16個の、「17進数」であるとする。
従って、
(01)により、
(02)
1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F<G
である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 1642357。
に於いて、
① 1 の右側に、1 よりも「小さい数」は無い。
(04)
① 1642357。
に於いて、
① 6 の右側で、6 よりも「小さい数」は、
①  (4235)である。
(05)
① 16(4235)7。
に於いて、
① 4 の右側で、4よりも「小さい数」は、
①    (23)である。
(06)
① 16〔4(23)5〕7。
に於いて、
① 2 の右側に、2 よりも「小さい数」は無い。
(07)
① 16〔4(23)5〕7。
に於いて、
① 3 の右側に、3 よりも「小さい数」は無い。
(08)
① 16〔4(23)5〕7。
に於いて、
① 5 の右側に、5 よりも「小さい数」は無い。
従って、
(03)~(08)により、
(09)
① 16〔4(23)5〕7。
に於いて、
① 6〔 〕⇒〔 〕6
① 4( )⇒( )4
といふ「移動」を行ふと、
① 16〔4(23)5〕7⇒
① 1〔(23)45〕67=
① 1<2<3<4<5<6<7。
といふ「並び替へ(ソート)」が成立する。
然るに、
(01)~(08)により、
(10)
① 16〔4(23)5〕7。
と同様に、例へば、
② 1F〈2D{3C[8〔6(45)7〕B(9A)]}E〉G。
といふ「それ」を、得ることが、出来る。
従って、
(08)(10)により、
(11)
② 1F〈2D{3C[8〔6(45)7〕B(9A)]}E〉G。
に於いて、
② F〈 〉⇒〈 〉F
② D{ }⇒{ )D
② C[ ]⇒[ ]C
② 8〔 〕⇒〔 〕8
② 6( )⇒( )6
② B( )⇒( )B
といふ「移動」を行ふと、
② 1F〈2D{3C[8〔6(45)7〕B(9A)]}E〉G⇒
② 1〈2{3[〔(45)67〕8(9A)B]C}DE〉FG=
② 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F<G。
といふ「並び替へ(ソート)」が成立する。
従って、
(01)~(11)により、
(12)
1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F<G
といふ「大小関係」を知ってさえゐれば、誰にでも、
① 1642357。
② 1F2D3C86457B9AEG。
に対して、
① 16〔4(23)5〕7。
② 1F〈2D{3C[8〔6(45)7〕B(9A)]}E〉G。
といふ「括弧」を、与へることが、出来る。
従って、
(12)により、
(13)
① 16〔4(23)5〕7。
② 1F〈2D{3C[8〔6(45)7〕B(9A)]}E〉G。
に於ける、
①   〔 (  ) 〕
②   〈  {  [ 〔 (  ) 〕 (  )]} 〉
といふ「括弧」は、
① 1642357。
② 1F2D3C86457B9AEG。
といふ「数字列」の「大小関係」を、表してゐる。
然るに、
(14)
① 16〔4(23)5〕7。
② 1F〈2D{3C[8〔6(45)7〕B(9A)]}E〉G。
に対して、
① 我非〔解(中文)者〕也。
② 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於ける、
①   〔 (  ) 〕
②   〈  {  [ 〔 (  ) 〕 (  )]} 〉
といふ「括弧」は、
① 我非解中文者也。
② 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
といふ「文字列」の「大小関係」を、表してはゐない。
然るに、
(15)
① 我非〔解(中文)者〕也。
に於いて、
① 非〔 〕⇒〔 〕非
① 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
① 我非〔解(中文)者〕也⇒
① 我〔(中文)解者〕非也=
① 我は〔(中文を)解する者に〕非ざる也=
① 私は中国語の文を理解する者ではないのである。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
(16)
② 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
② 非〈 〉⇒〈 〉非
② 不{ }⇒{ }不
② 求[ ]⇒[ ]求
② 以〔 〕⇒〔 〕以
② 解( )⇒( )解
② 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
② 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也⇒
② 我〈必{常[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也=
② 我は〈必ずしも{常には[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也=
② 私は必ずしも、常に、中国語の文を理解する方法を用ゐて、漢文を理解しようとしない者、ではないのである=
② 私は、時には、中国語の文を理解する方法を用ゐて、漢文を理解しようとする者なのである。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(17)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
① 我非〔解(中文)者〕也。
② 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於ける、
①   〔 (  ) 〕
②   〈  {  [ 〔 (  ) 〕 (  )]} 〉
といふ「括弧」は、
① 我非解中文者也。
② 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
といふ「文字列」の、「補足構造」を、表してゐる。
従って、
(13)(18)により、
(19)
① 16〔4(23)5〕7。
② 1F〈2D{3C[8〔6(45)7〕B(9A)]}E〉G。
に於ける「括弧」は、「大小関係」を表してゐて、
① 我非〔解(中文)者〕也。
② 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於ける「括弧」は、「補足構造」を表してゐる。
従って、
(19)により、
(20)
① 1642357。
② 1F2D3C86457B9AEG。
に於ける「大小関係」を知ってゐる者であれば、誰にでも、
① 16〔4(23)5〕7。
② 1F〈2D{3C[8〔6(45)7〕B(9A)]}E〉G。
といふ「括弧」を、得ることが、出来るやうに、
① 我非解中文者也。
② 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
に於ける「補足構造」を知ってゐる者であれば、誰にでも、
① 我非〔解(中文)者〕也。
② 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於ける「括弧」を、得ることが、出来る。
然るに、
(21)
① 我非解中文者也。
に於いて、
① 我 の「意味」は、
① 非 を介して、
① 解中文者 に、及んでゐる。
(22)
① 我非解中文者也。
に於いて、
① 非 の「意味」は、直接、
① 解中文者 に、及んでゐる。
(23)
① 我非解中文者也。
に於いて、
① 解 の「意味」は、直接、
① 中文 に、及んでゐる。
(24)
① 我非解中文者也。
に於いて、
① 中 の「意味」は、
① 連体修飾語 として、
① 文 に、掛ってゐる。
(25)
① 我非解中文者也。
に於いて、
① 也 の「意味」は、
① 我非解中文者 といふ「文全体」を、
①「・・・・・・である。」 といふ風に、「断定」してゐる。
従って、
(21)~(25)により、
(26)
① 我非解中文者也。
に於いて、
① 我 の「意味」は、
① 非 を介して、
① 解中文者 に、及んでゐて、
① 非 の「意味」は、直接、
① 解中文者 に、及んでゐて、
① 解 の「意味」は、直接、
① 中文 に、及んでゐる。
然るに、
(27)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
然るに、
(28)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)
従って、
(27)(28)により、
(29)
括弧は、漢字の管到(スコープ)を明示する働きを持つ。管到(スコープ)は、漢字の意味が及ぶ範囲のことをいう。
従って、
(26)(29)により、
(30)
① 我非解中文者也。
に於いて、
① 我 の「意味」は、
① 非 を介して、
① 解中文者 に、及んでゐて、
① 非 の「意味」は、直接、
① 解中文者 に、及んでゐて、
① 解 の「意味」は、直接、
① 中文 に、及んでゐる。のであれば、
① 我非解中文者也。
といふ「漢文」は、「括弧」を用ゐて、
① 我非〔解(中文)者〕也。
といふ風に、書くことが出来る。
従って、
(18)(29)(30)により、
(31)
② 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
の場合も、「漢字のスコープ(管到)」といふ「考へ方」によって、
② 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
といふ風に、書くことが出来る。
従って、
(18)(30)(31)により、
(32)
① 我非〔解(中文)者〕也。
② 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於ける、
①   〔 (  ) 〕
②   〈  {  [ 〔 (  ) 〕 (  )]} 〉
といふ「括弧」は、
① 我非解中文者也。
② 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文」の、「補足構造(管到)」を、表してゐる。
従って、
(26)~(32)により、
(33)
② 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
に対して、「括弧」を加へるためには、
②「左から順」に、それぞれの「漢字の意味」が、「直接、あるいは、間接的に、どの漢字」にまで「及んでゐる」のか。
といふことを、「理解」する、「必要」がある。
従って、
(34)
その「結果」として、
② 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
であるならば、
② 漢文と国語における「補足構造」における語順は、「反対」である。
が故に、
② 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
② 非〈 〉⇒〈 〉非
② 不{ }⇒{ }不
② 求[ ]⇒[ ]求
② 以〔 〕⇒〔 〕以
② 解( )⇒( )解
② 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
② 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也⇒
② 我〈必{常[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也=
② 我は〈必ずしも{常には[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(35)
③ 独逸非(羅馬属州)=ドイツはローマの属州に非ず。
④ 我以(善言葉)導〔僕与(其息子)〕=我、善き言葉を以て僕と其の息子とを導く。
とは、異なり、若かりし時に、両方とも挫折した、
③ Germania propvincia Romanorum non erat(ドイツはローマの属州ではなかった).
④ αγομεν τoυς δoυλoυς μετα των υιων αυτων λoγoις καλoις(我々は、その僕たちと彼等の息子たちを善い言葉で導く).
のやうな「言語(ラテン語とギリシャ語)」の場合は、「語順」ではなく、むしろ、「単語の形」が、「文法構造」を表してゐる。
従って、
(35)により、
(36)
単語と単語との間の文法的関係を把握し、その意味を理解することが、その語形の変化や文法的な成分などによらずに、右のように、その文脈による全体的な直観にゆだねられていることが多いことは、単音節的・孤立的な言語としての漢語における大きなな特徴であるといわなければならない。漢語におけるこのような表現のしかたは、単語の間の関係を文法的な形式によって示すことを重んじている西欧の言語になれている人にとっては、まことに奇妙なことに思われるものと考えられる。カールグレン氏は、その著書《中国の言語》において、このような奇妙な孤立的な漢語の文法は、「非常に貧弱なものであり」、「漢語においては、文法的な分析は、あまり役に立たず、実際に役立つのは、広い読書を通じて習得した経験、つまり、中国人がどのようにして文をつくりあげているかということに対する感覚が、唯一のものである」と説き、更に、漢語の文の意味を理解するためには、「豊富な直観が、必要である」とも述べている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、293頁)。
といふことなる。
然るに、
(37)
gyoukou6_2_2008さん2012/9/1917:47:34
漢文(白文を書き下し文に)
白文を書き下すのって無理じゃないですか?
それとも何かコツでもあるんでしょうか?
どなたか教えて下さい。
(38)
kaede_flower_158432976さん2013/1/2002:09:54
【漢文】
白文が全く読めません…;
返り点と送り仮名がないと私は、本当に一文字も意味がわからないんです・・・
自分で白文に返り点・送り仮名をつける問題なんてしょっちゅう出てきますが、あんなのもってのほかです
どうしたら読めるでしょうか(ToT)
すみません、お願いします。。。
従って、
(01)~(38)により、
(39)
私の方が、
gyoukou6_2_2008さん
kaede_flower_158432976さんよりも、
① 我非解中文者也。
② 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
③ 独逸非羅馬属州。
④ 我以善言葉導僕与其息子。
といふ「漢文」の、
① 我非〔解(中文)者〕也。
② 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
③ 独逸非(羅馬属州)。
④ 我以(善言葉)導〔僕与(其息子)〕。
といふ「補足構造」を「把握」する上での「直観」が、「優れてゐる(豊富である)」。
然るに、
(40)
① 我非解中文者也。
② 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
③ 独逸非羅馬属州。
④ 我以善言葉導僕与其息子。
といふ「漢文」を書いたのは、私自身である。
従って、
(39)(40)により、
(41)
① 我は、中文を解する者に非ざるなり。
② 我は、必ずしも常には中文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざる也。
③ 独逸は、羅馬の属州に非ず。
④ 我、善言を以て僕と其の息子とを導く。
といふ「漢文」を、
① 我非解中文者也。
② 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
③ 独逸非羅馬属州。
④ 我以善言葉導僕与其息子。
といふ風に、書けるやうになれば、すなはち、「復文」出来るやうになれば、
① 我非解中文者也。
② 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
③ 独逸非羅馬属州。
④ 我以善言葉導僕与其息子。
といふ「漢文」を、
① 我は、中文を解する者に非ざるなり。
② 我は、必ずしも常には中文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざる也。
③ 独逸は、羅馬の属州に非ず。
④ 我、善言を以て僕と其の息子とを導く。
といふ風に、「読める」ことになる。
然るに、
(42)
 はじめに ― 復文の過去と現在 ―
復文は、書き下し文から漢文の原文を復元する学習法です。漢文に熟達するための捷径つまり早道として、江戸時代は元禄元年(1688)ごろから少なくとも戦前すなわち昭和二十年(1945)まで、ざっと二百六十年間にわたって活用されていた学習法です。― 中略 ―、けれども、復文をいう学習法は、戦後(1945‐)漢文教育が衰退してゆくとともに、その著しい有効性にもかかわらず、水準の高すぎる学習法として学校教育の現場で禁止され、しだいに消え失せてしまったのです。
(古田島洋介、これならわかる復文の要領、2017年、3頁改)
従って、
(37)~(42)により、
(43)
「白文」を「訓読」出来るやうになりたい方には、「復文」を、勧めたい。
但し、
(44)
私自身は、図書館で見付けた、「古田島洋介、これならわかる復文の要領、2017年」を、まだ、読んではゐない。
従って、
(42)(43)(43)により、
(45)
「古田島洋介、これならわかる復文の要領、2017年」が、「良書」であるのか、さうでないのかは、分らないし、「復文」を行ふのであれば、「普通にある、参考書の、例文」をPCに入力して、例へば、
⑤ 我、書を読む。 を、
⑤ ガ、ドクショ。 といふ風に「音読」し、
⑤ 我読書。    を、
⑤ 我、書を読む。 といふ風に「訓読」すれば、良い。
平成30年01月08日、毛利太。
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