「~のみが・・・。」の「のみ」について。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案

「~のみが・・・。」の「のみ」について。

―「昨日(02月03日)の記事」の捕捉を書きます。―
(01)
① BではなくAは犯人です。
② BではなくAが犯人です。
に於いて、
① ではなく、
② の方が、「普通」である。
然るに、
(02)
② BではなくAが犯人です。
といふことは、
② Aは犯人あり(Bは犯人ではない)。
といふことに、他ならない。
従って、
(01)(02)により、
(03)
② Aが犯人である=
② Aは犯人あり(Bは犯人ではない)。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
② Aが犯人である=
② Aは犯人あり(A以外は犯人ではない)。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(05)
言ふまでもなく、
① Aは犯人である=Aは犯人である。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① Aは犯人である=Aは犯人である。
② Aが犯人である=Aは犯人あり(A以外は犯人ではない)。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(06)により、
(07)
① AはBである=AはBである。
② AがBである=AはBあり(A以外はBではない)。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(08)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
   b.Tom SENT Mary flowers.
   c.Tom sent MARY flowers.
   d.TOM sent Mary FLOWERS.
"Tom sent Mary flowers.”"(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom を強調して発音すれば、「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、「トム」という人間が他の人間と対比されているということです。
(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)
従って、
(07)(08)により、
(08)
① A is B.
といふ「英語」が、
① AはBである。
といふ「意味」ではなく、
② AはBであり(A以外はBでない)。
といふ「意味」であるならば、
② A is B.
といふ「英語」に於ける、
② A は、「強く発音」されるはずである。
然るに、
(09)
① AはBである=AはBである。
② AがBである=AはBあり(A以外はBではない)。
に於ける。
①「Aは」と、
②「Aが」を「比較」した際に、「最初に気付くこと」は、
①「Aは」の「音量」よりも、
②「Aが」の「音量」の方が「大きい」といふ、ことである。
然るに、
(10)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。
(11)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
① AはBである=AはBである。
② AがBである=AはBあり(A以外はBではない)。
に於ける。
①「Aは」と、
②「Aが」を「比較」した際に、「最初に気付くこと」は、
①「Aは」の「音量」よりも、
②「Aが」の「音量」の方が「大きい」といふ、ことであって、尚且つ、実際に、さうである。
従って、
(08)(12)により、
(13)
① A is B.
といふ「英語」が、
① AはBである。
といふ「意味」ではなく、
② AはBであり(A以外はBでない)。
といふ「意味」であるならば、
② A is B.
といふ「英語」に於ける、
② A は、「強く発音」されるはずであって、尚且つ、
① AはBである=AはBである。
② AがBである=AはBあり(A以外はBではない)。
に於ける。
①「Aは」と、
②「Aが」を「比較」した際に、「最初に気付くこと」は、
①「Aは」の「音量」よりも、
②「Aが」の「音量」の方が「大きい」といふ、ことであって、尚且つ、実際に、さうである。
然るに、
(14)
② AはBあり(A以外はBではない)。
といふ「命題」を、「排他的命題(Exclusive proposition)」といふ。
従って、
(13)(14)により、
(15)
① AはBである。
② AがBである。
に於ける、
② Aが は、
① Aは に対する「強調形」であって、
② AがBである。 自体は、「排他的命題」である。
然るに、
(16)
② AがBである(口語)。
③ AのみBなり(文語)。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(07)(16)により、
(17)
② AがBである=AはBあり(A以外はBではない)。
③ AのみBなり=AはBあり(A以外はBではない)。
といふ「今の日本語」と「昔の日本語」に於いて、
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(18)
「のみ」は強調の意を示す用法がすたれ、現代ではもっぱら限定の意味を受けもつ副助詞となってゐる。
(大修館、古語林、1997年、1044頁)
従って、
(15)~(18)により、
(19)
② AがBである=AはBあり(A以外はBではない)。
③ AのみBなり=AはBあり(A以外はBではない)。
に於いて、
②=③ であって、
② Aが(現代語) は、「強調形」であって、
③ Aのみ(古文) も、「強調形」である。
然るに、
(20)
② Aが
③ Aのみ
であるならば、
②+③=
④ Aのみが である。
従って、
(19)(20)により、
(21)
② AがBである=AはBあり(A以外はBではない)。
③ AのみBなり=AはBあり(A以外はBではない)。
であって、
④ AのみがBである=AはBあり(A以外はBではない)。
でないとしたら、その方が、「不思議」である。
従って、
(19)(20)(21)により、
(21)
② AがBである  =AはBあり(A以外はBではない)。
③ AのみBなり  =AはBあり(A以外はBではない)。
④ AのみがBである=AはBあり(A以外はBではない)。
に於いて、
②=③=④ であって、尚且つ、
② Aが   は、「強調形」であって、
③ Aのみ  も、本来は、「強調形」であって、
④ Aのみが も、本来は、「強調形」である。
といふ、ことになる。
平成30年02月04日、毛利太。
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