金谷武洋先生に「質問(反論)」が、三つ有ります。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案
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金谷武洋先生に「質問(反論)」が、三つ有ります。

(01)
金谷先生謂 主題 曰、
 象は、鼻が長い。
この文には主語が一つもない。日本語にそもそも主語など不要であるから当然と言えば当然だが、二重主語どころではないのだ。「象は」は「主題」であり、文がここで切れている。「象について話しますよ」聞き手の注意を引いておき、それに続く話し手のコメントが「鼻が長い」だ。
(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、79・80頁)
然るに、
(02)
① 象は動物である。
といふ「日本語」を、「述語論理」の場合は、
① 象は動物である=
① ∀x(象x→動物x)=
① 全てのxについて、xが象ならば、xは動物である。
といふ風に、「翻訳」する。
然るに、
(03)
① 全てのxについて、xが象ならば、xは
と言ふのであれば、明らかに、
① これから、象について話しますよ。
といふ「意味」になる。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 象は動物である=
① ∀x(象x→動物x)=
① 全てのxについて、xが象ならば、xは動物である。
に於ける、
① 象x=xは象である。
といふ「それ」は、金谷先生が謂ふ所の、「主題」であるに、違ひない。
とすることは、「正しい」のでせうか(質問Ⅰ)。
(05)
① 私は彼は好きです。
② 私は彼が好きです。
に於いて、
① であれば、「私は、彼以外も好きである。」といふことを、「否定」しない。
② であれば、「私は、彼以外は好きでない。」といふことを、「肯定」する。
従って、
(05)により、
(06)
① 象は鼻は長い。
② 象は鼻が長い。
に於いても、
① であれば、「象は、鼻以外も長い。」  といふことを、「否定」しない。
② であれば、「象は、鼻以外は長くない。」といふことを、「肯定」する。
従って、
(06)により、
(07)
① 象は鼻は長い=象は鼻は長い。
② 象は鼻が長い=象は鼻は長い。象は鼻以外は長くない。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(08)
② 象は鼻は長い。
② 象は鼻以外は長くない。
といふ「日本語」を、「述語論理」に「翻訳」するならば、
② ∀x{象x→∃y( 鼻yx& 長y)}=全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長い。
② ∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}=全てのxについて、xが象ならば、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ、ことになる。
然るに、
(09)
次の「計算(10)」により、
② ∀x{象x→∃y( 鼻yx& 長y)}=全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長い。
② ∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}=全てのxについて、xが象ならば、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「二つの式」は、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「一つの式」に、「置き換へ」ることが、出来る。
(10)
(a)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}&
     ∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}            A
1 (2)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}              1&E
1 (3)   象a→∃y(鼻yx&長y)               2UE
1 (4)∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}            1&E
1 (5)   象a→∀z(~鼻zx→~長z)             4UE
 6(6)   象a                          A
16(7)      ∃y(鼻yx&長y)               63CP
16(8)      ∀z(~鼻zx→~長z)             65CP
16(9)      ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  78&I
1 (ア)   象a→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  69CP
1 (イ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} アUI
(b)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (2)   象a→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  1UE
 3(3)   象a                          A
13(4)      ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  23MPP
13(5)      ∃y(鼻yx&長y)               4&E
1 (6)   象a→∃y(鼻yx&長y)               35CP
1 (7)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}              6UI
13(8)      ∀z(~鼻zx→~長z)             4&E
1 (9)   象a→∀z(~鼻zx→~長z)             38CP
1 (ア)∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}            9UI
1 (イ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}&
     ∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}            7ア&I
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
② 象は鼻が長い=
② 象は鼻は長く、象は鼻以外は長くない。
といふ「日本語」は、「述語論理」で表せば、
② 象は鼻が長い=
② 象は鼻は長く、鼻以外は長くない=
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
② 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(12)
1    (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1    (2)   象a→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  1UE
 3   (3)∃x(象x)                         A
  4  (4)   象a                          A
1 4  (5)      ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  24MPP   
1 4  (6)      ∃y(鼻yx&長y)               5&E
13   (7)      ∃y(鼻yx&長y)               346EE
1 4  (8)                 ∀z(~鼻zx→~長z)  5&E 
13   (9)                 ∀z(~鼻zx→~長z)  348EE
13   (ア)                    ~鼻bx→~長b   9UE
   イ (イ)                          長b   A
    ウ(ウ)                    ~鼻bx       A
13  ウ(エ)                         ~長b   アウMPP
13 イウ(オ)                    ~長b&長b     イエ&I
13 イ (カ)                   ~~鼻bx       ウオRAA
13 イ (キ)                     鼻bx       カDN
13   (ク)                     長b→鼻bx    イキCP
13   (ケ)                  ∃z(長z→鼻zx)   クEI
13   (コ)      ∃y(鼻yx&長y)& ∃z(長z→鼻zx)   7ケ&I
13   (サ)∃x(象x)&∃y(鼻yx&長y)&∃z(長z→鼻zx)   3コ&I
然るに、
(13)
② ∃x(象x)&∃y(鼻yx&長y)&∃z(長z→鼻zx)。
とふ「論理式」を、「直訳」すれば、
② 或るxは象であって、或るyはxの鼻であって、yは長く、或るzが長いならば、そのzはxの鼻である。
といふ「日本語」になる。
然るに、
(14)
② 或るxは象であって、或るyはxの鼻であって、yは長く、或るzが長いならば、そのzはxの鼻である。
といふことは、要する、
② 鼻の長い象xが存在する。
といふ「意味」である。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
1    (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
 3   (3)∃x(象x)                         A
13   (サ)∃x(象x)&∃y(鼻yx&長y)&∃z(長z→鼻zx)   3コ&I
といふ「述語計算」は、
② 象は鼻が長い。ならば、
② 象が存在する。ならば、
② 鼻の長い象が存在する。
といふ、「極めて、当然なこと」を、「証明」してゐる。
従って、
(11)~(15)により、
(16)
② 象は鼻が長い=
② 象は鼻は長く、鼻以外は長くない=
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
② 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「翻訳」は、果たして、「正しい」。
然るに、
(17)
② Every elephant has a long nose, and no other part of it is not long.
といふ「作文」を、「グーグル翻訳」で「翻訳」すると、
② すべての象は長い鼻を持ち、それ以外の部分は長くありません。
従って、
(17)により、
(18)
② 象は鼻が長い=
② 象は鼻は長く、象は鼻以外は長くない。
といふ「日本語」は、
② Every elephant has a long nose, and no other part of it is not long.
といふ「英語」に、「翻訳」出来る。
然るに、
(19)
② As for all x, if x is an elephant then there is y such that y is a nose of x, and y is long, and as for all z, if z is not a nose of x then z is not long.
といふ「作文」を、「Weblio翻訳」で「翻訳」すると、
② すべてのxに関しては、xが象であるならば、yがxの鼻であるようなyがあります、そして、yは長いです、そして、すべてのzに関しては、zがxの鼻でないならば、zが長いというわけではありません。
従って、
(19)により、
(20)
② 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「日本語」は、
② As for all x, if x is an elephant then there is y such that y is a nose of x, and y is long, and as for all z, if z is not a nose of x then z is not long.
といふ「英語」に、「翻訳」出来る。
然るに、
(21)
そこでたとえば「象は鼻が長い」というような表現は、象が主語なのか鼻が主語なのかはっきりしないから、このままではその論理構造が明示されていなから、いわば非論理的な文である、という人もある。しかしこの文の論理構造をはっきり文章にあらわして、
「すべてのxについて、もしxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、yは長い」
といえばいいかもしれない。しかし日常の言語によるコミニュケーションでは、たとえば動物園で象をはじめて見た小学生が、父親にむかってこのような文章で話しかけたとすれば、その子供は論理的であるといって感心されるまえに社会人としての常識をうたがわれるにきまっている。
(田允茂、現代論理学入門、1962年、29頁)
従って、
(18)(20)(21)により、
(22)
② 象は鼻が長い。
② Every elephant has a long nose, and no other part of it is not long.
といふ「自然言語」に対する、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② ∀x{Ex→∃y(Nyx&Ly)&∀z(~Nzx→~Lz)}。
といふ「数学語」に対する、
② 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
② As for all x, if x is an elephant then there is y such that y is a nose of x, and y is long, and as for all z, if z is not a nose of x then z is not long.
といふ「自然言語」による「直訳」は、「日本語・英語」ではあっても、「極めて変な、日本語・英語」である。
然るに、
(23)
日常言語の文から述語計算の文への翻訳のためには、一般にあたまが柔軟なことが必要である。なんら確定的な規則があるわけではなく、量記号に十分に馴れるまでは、練習を積むことが必要である(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、130頁)。
Flexibility of mind is generally required for translating from ordinary speech into sentences of the predicate calculs. No firm rules can be given, and practice is needed before full familiarity with quantifires is reached(E.J.Lemmon, Beginning Logic).
(21)(22)(23)により、
(24)
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② ∀x{Ex→∃y(Nyx&Ly)&∀z(~Nzx→~Lz)}。
のやうな、「述語論理(数学語)」は、日本人にとっても、アメリカ人にとっても、カナダ人にとっても、「馴れるまでは、練習を必要」とするところの、「(漢文のやうな)外国語」である。
然るに、
(25)
そこで私たちは主語を示す変項x、yを文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
(xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
 SはPである。
という一般的な 主語-述語文は、
 Fx Gx
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、Fx はもとの文の主語に対応し、Gx は述語に対応していることがわかる。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
然るに、
(26)
ならば、「日本語に即した文法の樹立を」を目指すわれわれは「日本語で人称代名詞と呼ばれているものは、実は名詞だ」と宣言したい。どうしても区別したいなら「人称名詞」で十分だ。日本語の「人称代名詞」はこれからは「人称名詞」と呼ぼう。
(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、40・41頁)
従って、
(23)~(26)により、
(27)
「私(人称代名詞)」と「ソクラテス(固有名詞)」は、両方とも「普通名詞」である。といふ「前提」に立って、「柔軟な頭(Flexibility of mind)」で、
② 私がソクラテスです。
といふ「日本語」を、「述語論理」に「翻訳」するならば、
② 私がソクラテスです=
② ∃x{私x&ソクラテスx&∀y[~私y→~(x=y)]}=
② あるxは私であって、そのxはソクラテスであって、全てのyについて、yが私でないならば、xとyは、同一人物ではない=
② あるxはあなたの目前にゐる人であって、そのxはソクラテスであって、全てのyについて、yがあなたの目前にゐる人でないならば、xとyは、同一人物ではない。
といふ「論理式」が、成立する。
然るに、
(11)により、
(28)
② 象は鼻が長い=
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
② 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「日本語・述語論理」の場合は、
② 象x→∃y(鼻yx&長y)=
② xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長い。
といふ「部分」に、少なくとも、
② x=象
② y=xの鼻
といふ、「二つの主語」を、含んでゐる。
然るに、
(29)
日本文法界でかつて流行した見解、げんに流行しているらしい見解は次のものです。どちらもわれわれにはもはや用のないものです。
象ハ  鼻ガ 長イ。
総主語 主語
(三上章、象は鼻が長い、1982年、第13版、66頁)
従って、
(28)(29)により、
(30)
② 象ハ  鼻ガ 長イ。
② 総主語 主語
といふ「見解」は、むしろ、
② 象は鼻が長い≒
① 象は鼻が長い
① 象x→∃y(鼻yx&長y)=
① xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長い。
といふ「述語論理」的な「発想」である。とすべきである。
(31)
① Every elephant has a long nose.
といふ「それ」は、飽くまでも、
① SVO=主語+動詞+目的語.
であるため、
① 象x→∃y(鼻yx&長y)=
① if x is an elephant then there is a y such that y is a nose of x and y is long.
といふ「述語論理」的な「発想」が、見られない。
従って、
(30)(31)により、
(32)
② 象ハ  鼻ガ 長イ。
② 総主語 主語
といふ「見解」は、「述語論理的(Predicate logical)」であるが、
① Every elephant has a long nose.
① SVO=主語+動詞+目的語.
という「文法」は、「述語論理的(Predicate logical)」ではない。
従って、
(32)により、
(33)
② 象ハ  鼻ガ 長イ。
② 総主語 主語
といふ「見解」に関しては、「英語の文法」の「主語」の影響ではなく、「述語論理の文法」の「主語」の影響を受けてゐる?
然るに、
(34)
② 象ハ  鼻ガ 長イ。
② 総主語 主語
といふ「見解」が、
② 象は鼻が長い=
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
② 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「述語論理の文法」の影響を受けてゐる。といふことは、おそらくは、無い。
従って、
(33)(34)により、
(35)
② 象ハ  鼻ガ 長イ。
② 総主語 主語
といふ「見解」は、少なくとも、「英語の文法」の「主語」の影響を、受けてはゐない。
(36)
もう一度、確認すると、
② 象は鼻が長い=
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
② 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない=
② As for all x, if x is an elephant then there is y such that y is a nose of x, and y is long, and as for all z, if z is not a nose of x then z is not long.
といふ「発想」は、
① Every elephant has a long nose(全ての象は、各々が、長い鼻を持ってゐる)。
といふ「英語」には無い。
従って、
(36)により、
(37)
少なくとも、
② 象ハ  鼻ガ 長イ。
② 総主語 主語
といふ「日本語」の「理解」に関しては、
日本語などの東アジアの言語には必要のない「主語」は、明治維新以降は「脱亜入欧」の掛け声のもと、英文法を真似て導入されたものだった。大野晋も『日本語の世界』付録の丸谷才一との対談、その事情をあっさり認めてゐる。 明治以降、要するに英文法をもとにして、大槻博士が日本語の文法を組み立てた。その時に、ヨーロッパでは文を作る時に必ず主語を立てる。そこで『文には主語が必要』と決めた。そこで日本語では主語を示すのに『は』を使う、と考えたのです。ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いというわけで、無理にいろんなものを当てはめた(金谷武洋、英語にも主語はなかった、2004年、11頁)。
といふ「主張」は、成り立たないと、すべきである(質問Ⅱ)。
然るに、
(38)
③ ぼくはウナギだ。
③ サンマは目黒に限る。
といふ「日本語」は、
③(ここにゐる数人中で)ぼくに関して言へば、ウナギが欲しく、ウナギ以外は欲しくない。
③ サンマに関して言へば、目黒のそれはうまく、目黒以外(日本橋魚河岸)のそれはうまくない。
といふ「意味」である。
然るに、
(12)により、
(39)
1    (1)∀x{サンマx→∃y(目黒yx&美味y)&∀z(~目黒zx→~美味z)} A
1    (2)   サンマa→∃y(目黒yx&美味y)&∀z(~目黒zx→~美味z)  1UE
 3   (3)∃x(サンマx)                             A
  4  (4)   サンマa                              A
1 4  (5)      ∃y(目黒yx&美味y)&∀z(~目黒zx→~美味z)    24MPP   
1 4  (6)      ∃y(目黒yx&美味y)                   5&E
13   (7)      ∃y(目黒yx&美味y)                   346EE
1 4  (8)                 ∀z(~目黒zx→~美味z)      5&E 
13   (9)                 ∀z(~目黒zx→~美味z)      348EE
13   (ア)                    ~目黒bx→~美味b       9UE
   イ (イ)                           美味b       A
    ウ(ウ)                    ~目黒bx            A
13  ウ(エ)                          ~美味b       アウMPP
13 イウ(オ)                    ~美味b&  美味b       イエ&I
13 イ (カ)                   ~~目黒bx            ウオRRA
13 イ (キ)                     目黒bx            カDN
13   (ク)                     美味b→目黒bx        イキCP
13   (ケ)                  ∃z(美味z→目黒zx)       クEI
13   (コ)         ∃y(目黒yx&美味y)&∃z(美味z→目黒zx)   7ケ&I
13   (サ)∃x(サンマx)&∃y(目黒yx&美味y)&∃z(美味z→目黒zx)   3コ&I
従って、
(23)(38)(39)により、
(40)
② 象は鼻が長い。
③ ぼくはウナギだ。
④ サンマは目黒に限る。
といふ「日本語」は、「柔軟な頭(Flexibility of mind)」で考へるならば、
② 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
③ 全てのxについて、xが僕ならば、あるyは鰻であって、xはyが欲しく、全てのzについて、zが鰻でないならば、xはzを欲しくない。
④ 全てのxについて、xがサンマならば、あるyは目黒のxであって、yはうまく、全てのzについて、zが目黒のxでないならば、zはうまくない。
であるため、「三つ」とも、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ ∀x{僕x→∃y(鰻y&欲xy)&∀z(~鰻z→~欲xz)}。
④ ∀x{サンマx→∃y(目黒yx&美味y)&∀z(~目黒zx→~美味z)}。
といふ風に、書くことが出来る。
従って、
(40)により、
(41)
「述語論理」といふ「観点」からすれば、
② 象は鼻が長い。
③ ぼくはウナギだ。
④ サンマは目黒に限る。
といふ「日本語のシンタックス」は、「三つとも、等しい」。
然るに、
(42)
① こんにゃくは太らない。
の場合は、
① 全てのxについて、xがこんにゃくであるならば、或るyは人であって、yはxを食べ、yは太らない。
であるため、
① ∀x{蒟蒻x→∃y(人y&食yx&~太y)}。
といふ風に、書くことになる。
然るに、
(43)
1  (1)∀x{蒟蒻x→ ∃y(人y&食yx&~太y)} A
1  (2)   蒟蒻a→ ∃y(人y&食yx&~太y)} 1UE
 3 (3)∃x(蒟蒻x)                 A
  4(4)   蒟蒻a                  A
1 4(5)        ∃y(人y&食yx&~太y)  24MPP
1 3(6)        ∃y(人y&食yx&~太y)  345EE
1  (7)∃x(蒟蒻x)→∃y(人y&食yx&~太y)  36CP
といふ「述語計算」は、「正しい」。
従って、
(42)(43)により、
(44)
① そのやうな「蒟蒻x」が存在するならば、
① こんにゃくxを食べて、太らない人yが、存在する。
然るに、
(45)
もちろん、この文が問題となるのは、「太らない」のが「こんにゃく」ではなく、それを食べる人間様の場合である。
(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、84頁)
従って、
(42)~(45)により、
(46)
① こんにゃくは太らない=
① ∀x{蒟蒻x→∃y(人y&食yx&~太y)}=
① 全てのxについて、xがこんにゃくであるならば、或るyは人であって、yはxを食べ、yは太らない。
といふ「翻訳」は、「正しい」。
然るに、
(47)
英語でこんにゃく文に対応するのは、(As)for "Kon'nyaku",we do not get fat. であって、"Kon'nyaku" does not get fat. ではない。やはりここでも文が切れているからこそ、日英語とも正しく理解できるのである(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、85頁)。
然るに、
(48)
① 全てのxについて、xが蒟蒻ならば、
② 全てのxについて、xが象ならば、
③ 全てのxについて、xが僕ならば、
④ 全てのxについて、xがサンマならば、
といふ「決まり文句」、すなはち、
① 全てのxについて、xが何々ならば、
といふ「日本語」は、
① As for all x if x is "何々" then,
といふ「英語」に、訳すことが、できる。
従って、
(40)(46)(48)により、
(49)
① こんにゃくは、
② 象は、
③ ぼくは、
④ サンマは、
といふ「日本語」は、「述語論理」といふ「観点(Flexibility of mind)」からすれば、
① 全てのxについて、xが何々ならば、
① As for all x if x is "何々" then,
といふ「意味」になる。
然るに、
(50)
① こんにゃくは太らない=
① ∀x{蒟蒻x→∃y(人y&食yx&~太y)}=
① 全てのxについて、xがこんにゃくであるならば、或るyは人であって、yはxを食べ、yは太らない。
に於いて、
① x=こんにゃく
といふ「代入」を行ふと、
① こんにゃくは太らない=
① 全てのこんにゃくについて、こんにゃくがこんにゃくであるならば、或るyは人であって、yはこんにゃくを食べ、yは太らない。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(51)
① 全てのこんにゃくについて、こんにゃくがこんにゃくであるならば、或るyは人であって、yはこんにゃくを食べ、yは太らない。
といふ「文」は、明らかに、「こんにゃく」を、「主題(トピック)」としてゐる。
従って、
(01)(51)により、
(52)
日本語では「は」は主題という(倉本幸彦、なぜ、日本人は日本語を説明でいないのか、2017年、38頁)。
といふのは、「述語論理」に於ける、
① 全てのxについて、xが何々ならば、
① As for all x if x is "何々" then,
といふ、「決まり文句」に、関係してゐると、思はれるものの、果たして、さうと、言へるのでせうか(質問Ⅲ)。
(53)
① こんにゃくは太らない。
② 象は鼻が長い。
③ ぼくはウナギだ。
④ サンマは目黒に限る。
といふ「日本語」は、「四つとも全て」、
① ・・・は
で始まってゐて、
① ∀x{蒟蒻x→∃y(人y&食yx&~太y)}。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ ∀x{僕x→∃y(鰻y&欲xy)&∀z(~鰻z→~欲xz)}。
④ ∀x{サンマx→∃y(目黒yx&美味y)&∀z(~目黒zx→~美味z)}。
といふ「述語論理」は、「四つとも全て」、
① 全てのxについて、xが何々ならば、
といふ「決まり文句」で始まってゐて、
① 全てのxについて、xが何々ならば、
といふ「決まり文句」は、
①(As)for all x if x is "何々" then,
といふ「意味」です。
平成30年02月27日、毛利太。
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