述語論理と漢文の訓読は「邪道」である(?)。 - 返り点に対する「括弧」の用法について提案

述語論理と漢文の訓読は「邪道」である(?)。

(01)
① 全てのxについて、xが人ならば、そのxは死ぬ。
② あるxは人であって、そのxは死なない。といふことはない。
に於いて、
①=② である。
といふことは、「直観」として「正しい」。
cf.
mors omnibus communis(死は全ての人に共通です)⇔ 死なない人間はゐない。
然るに、
(02)
(a)
1  (1) ∀x(人x→  死x)  仮定
  2 (2) ∃x(人x& ~死x)  仮定
  3(3)    人a& ~死a   仮定
  3(4) ~~(人a& ~死a)  3二重否定
  3(5) ~(~人aV~~死a)  4ド・モルガンの法則
  3(6) ~(~人aV  死a)  5二重否定
  3(7) ~( 人a→  死a)  6含意の定義
1  (8)    人a→  死a   1U除去
1 3(9) ~( 人a→  死a)&
        ( 人a→  死a)  78&導入
3  (ア)~∀x(人x→  死x)  19背理法
2  (イ)~∀x(人x→  死x)  23アE除去
12 (ウ) ∀x(人x→  死x)&
      ~∀x(人x→  死x)  1イ&導入
1  (エ)~∃x(人x& ~死x)  2ウ背理法
(b)
1  (1)~∃x(人x& ~死x)  仮定
 2 (2) ~( 人a→  死a)  仮定
 2 (3) ~(~人aV  死a)  2含意の定義
 2 (4)  ~~人a& ~死a   3ド・モルガンの法則
 2 (5)    人a& ~死a   4二重否定
 2 (6) ∃x(人x& ~死x)  5E導入
12 (7)~∃x(人x& ~死x)&
       ∃x(人x& ~死x)  16&導入
1  (8)~~( 人a→  死a)  27RAA
1  (9)  ( 人a→  死a)  8二重否定
1  (ア) ∀x(人x→  死x)  9U導入
従って、
(01)(02)により、
(03)
①   ∀x(人x→ 死x)=全てのxについて、xが人ならば、そのxは死ぬ。
② ~∃x(人x&~死x)=あるxは人であって、そのxは死なない。といふことはない。
に於いて、
①=② である。
といふことは、「述語論理」としても「正しい」。
然るに、
(04)
② ~∃x(人x&~死x)。
から、
②   x   x   x
を除くと、
② ~∃(人&~死)。
然るに、
(05)
任意の表述の否定は、その表述を’~(  )’という空所にいれて書くことにしよう。
(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
②  ~∃(人& ~死)=
② ~(∃(人&~(死)))
である。
然るに、
(07)
 ~ = 不
 ∃ = 有
 & = 而(て)
である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
② ~(∃(人&~(死)))=
② 不(有(人而不(死)))。
である。
従って、
(08)により、
(09)
② ~[∃〔人&~(死)〕]=
② 不[有〔人而不(死)〕]。
である。
然るに、
(10)
② 不 人而不一レ 死=
② ~[∃〔人&~(死)〕]=
② 不[有〔人而不(死)〕]。
に於いて、
② ~[ ]⇒[ ]~
② ∃〔 〕⇒〔 〕∃
② ~( )⇒( )~
といふ「移動」を行ふと、
② ~[∃〔人&~(死)〕]=
② 不[有〔人而不(死)〕]⇒
② [〔人而(死)不〕有]不=
② [〔人にして(死せ)不るは〕有ら]不=
② 死なない人間(不死身な人間)は、存在しない。
然るに、
(11)
そこで述語論理学では「人間」と「動物」の「包含関係」を表わすのに、
動物(人間)
と表示する。そしてこれを記号化して
F(x) または( )を省略して Fx
というように書く。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、116頁改)
従って、
(09)(11)により、
(12)
② ~[∃〔人&~(死)〕]=
② 不[有〔人而不(死)〕]。
に対して、
③   x x   x 
を加へると、
③ ~{∃x〔人(x)&~〔死(x)〕]}=
③ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}。
である。
然るに、
(13)
③ ~x 人 x & ~一レ x=
③ ~{∃x〔人(x)&~〔死(x)〕]}=
③ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}。
に於いて、
③ 不[ ]⇒[ ]不
③ 有〔 〕⇒〔 〕有
③ 人( )⇒( )人
③ 不〔 〕⇒( )不
③ 死( )⇒( )死
といふ「移動」を行ふと、
③ ~{∃x〔人(x)&~〔死(x)〕]}=
③ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}⇒
③ {[(x)人而〔(x)死〕不]有x}不=
③ {[(xは)人であって〔(xは)死な〕ない]といふ、そのようなxは有ら}不=
③ 死なない人間(不死身な人間)は、存在しない。
従って、
(10)(13)により、
(14)
② 不 人而不一レ 死=
② 不[有〔人而不(死)〕]。
といふ「漢文」と、
③ ~x 人 x & ~一レ x=
③ ~{∃x〔人(x)&~〔死(x)〕]}。
といふ「述語論理」の「違ひ」は、「xの有無」に過ぎない。
然るに、
(15)
大学に入っても、一般に中国文学科では訓読法を指導しない。漢文つまり古典中国語も現代中国語で発音してしまうのが通例で、訓読法なぞ時代遅れの古臭い方法だと蔑む雰囲気さえ濃厚だという(古田島洋介、日本近代史を学ぶための、文語文入門、2013年、はじめに ⅳ)。
(16)
日本人が、独学で、「漢文」を読めるやうになるためには、「漢文訓読法」以外には、現実には有り得ないはずであるが、
かつて漢文学科だった学科や漢文学専攻は、いま、そのほとんすべてが中国文学科や中国文学専攻になってしまっている。そこでは、当然、中国語も履修することになっていて、そこで学んだ方々は、古代の中国文も現代の中国音で発音できるし、またそういう出身の先生は、得意げにそういうように読んでも聞かせたりするもののようである。そこで、日本文学科出身の国語科の先生や、教育学部の国語専修などの出身の先生は、漢文は嫌いではないのだが、生徒からなにか、偽者のように思われて辛い、と聞くことがあったりするのである(中村幸弘・杉本完治、漢文文型 訓読の語法、2012年、36頁)。
従って、
(15)(16)により、
(17)

然るに、
(18)
少なくとも、私自身は、中国語の先生が、「訓読」を、「邪道」であるとされようと、されまいまいと、「漢文訓読・述語論理訓読」を止めつもりは、全くない。
平成30年04月13日、毛利太。
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写真は蛍雪時代(高三)。この頃に、漢文が好きになりました。

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